天然真珠産業時代のバーレーンに関する歴史考察―ハマド首長による潜水士の待遇改善

こんばんは。今日も私の記事を訪問してくださりありがとうございます。今回は、ご旅行やご出張でバーレーンに行かれる方の参考になるように、天然真珠産業が主要な産業だった時代の潜水士達の過酷な労働、ハマド首長とイギリス政府の下で行われた改革などに関する、歴史考察の記事を書かせて頂きます。

 

 

石油産業以前のバーレーンの主要産業だった天然真珠産業

 

1932年にバーレーンで湾岸アラブ諸国初の石油が発見されるよりも以前、バーレーンを始めとする湾岸アラブ諸国では10世紀以上に渡り、天然真珠採取が主要な産業でした。そして世界恐慌や、日本の御木本幸吉が開発した養殖真珠が世界に台頭し、石油が発見された1930年代を機に、バーレーンの天然真珠産業は衰退し、石油産業が主要な産業に取って代わられることになりました。

 

 

天然産業衰退前後のイーサー首長とハマド首長

 

バーレーンは1782年以来、1880年以降のイギリスによる保護国下の時代から1971年に王国として独立した以降の時代に至るまで、アル・ハリーファ王家によって統治されています。天然真珠産業が黄金期を誇った1923年まではイーサー・ビン・アリーが、以降の天然真珠産業の衰退と石油産業の勃興の時代には、息子であるハマド・ビン・イーサーが首長を務めました。

 

バーレーンのムハッラクにある、イーサー首長の住居兼仕事場だった建物。

 

イーサー首長の住居に隣接する大型モスク。

 

 

過酷な労働を課せられた天然真珠採取の潜水士たち

 

天然真珠の採取は、木造のダウ船を用いて潜水士たちによって行われました。潜水士は縄の引き上げ役と、2人1組になって作業に従事します。潜水士は2本の縄とともに潜りますが、片方の縄には重石が取り付けられていて、重力によって素早く海底まで潜ります。1~2分程度、息が続く限り海底で作業し、息が苦しくなったら縄を引っ張って合図し、シーブに自分を引っ張り上げさせます。

 

バーレーンの首都マナーマの国立博物館の裏に建つ潜水士の銅像。

 

この1回の潜水作業で採取できる真珠貝の数は、平均でわずか8~12個だったとのこと。潜水は素潜りに近く、半ズボンのようなものを着けただけで、ほかには鼻挟み、真珠貝を引き剥がすナイフ、貝を入れる網袋(首から提げる)、指の怪我を防ぐための指袋を携帯しているだけ。潜水はグループ単位で行われ、連続して何回か潜水をしたあと、他のグループが採取しているときには休憩となります。

 

マナーマの国立博物館内に展示されたダウ船での天然真珠採取を再現したミニチュア。

 

国立博物館にある当時の潜水作業の記録写真。

 

グループ内で海に入る順番が決まっており、これによって互いの縄が絡まないようになっています。休憩時間が設けられているとは言え、潜水士たちが息を止めて海中で作業する時間は長く、労働は極めて過酷なものでした。

 

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不当な労働待遇に置かれていた潜水士たち

 

そうした過酷な労働にもかかわらず、当時の天然真珠産業では商人たちが富裕を極める一方、潜水士たちの多くは不当な労働待遇に置かれていました。

 

バーレーンのムハッラクにある真珠商人の住居。

 

潜水士は真珠の売却によって生じた利益を分配され、船長から前払い金を支払われるのが慣例となっていましたが、この前払い金は実質的に高利を伴う借金で、帳簿にも多くのごまかしがあり、漁期以外でも多くの潜水士が富裕商人や船長の下で不払い労働を強制される原因となりました。

 

国立博物館に展示された、法廷から発行された潜水士の作業許可証。

 

なおかつ潜水士が亡くなった時点で借金が残っていると、借金返済のために息子が潜水士を引き継いで不払い労働に従事することまで余儀なくされていました。また潜水士たちに高利の借金を押し付けている船長たちもまた、家屋や船を担保に富裕商人たちから高利の借金を押し付けられていたため、不漁の時期には破産させられる船長も多く、潜水士やダウ船、家を富裕商人に没収されてしまう船長も数多くいました。

 

 

改革によって潜水士たちの待遇を改善したハマド首長

 

改革によってこうした天然真珠産業の構造にメスを入れたのがハマド首長と、彼を後押しするイギリス政府でした。ハマド首長の下で制定された潜水法により、借金の利子の上限と前払い金の最高額の制定、専門家の監査に基づく潜水士手帳の配布、漁期以外の不払い労働の禁止、潜水士の死去に伴う債務の消滅、潜水会議の定期的な開催などが定められ、潜水士たちの置かれた労働環境は大幅に改善される結果となりました。

 

国立博物館に展示された、潜水士の借金の返済が完了し、不払い労働から解放されたことを示す証明書。

 

当時はまだバーレーンがイギリスによる保護領下に置かれていた時代。欧米による植民地支配というと何かと負のイメージがつきものですが、イギリス統治下で行われたバーレーンの改革もまた、プラスの面としてきちんと評価すべきだと思います。

 

 

時代の中で文化や街並みが変遷した現在のバーレーン

 

天然真珠産業は1932年以降急速に衰退化し、主要産業はほぼ完全に石油産業に取って代わられ、現在のバーレーンでは天然真珠産業に従事する人はほぼ皆無となりました。その一方で、石油の発見以前から存在していた文化や街並みは、今でもバーレーンにきちんと残されています。

 

現在のバーレーンには、当時の伝統を維持しつつ、時代の中で良い形に変容した文化や街並みの形が確かにあります。異文化との融合によって成立した現在の穏健で平和な風土を維持し続けるために、今後もバーレーン政府には頑張ってほしいものです。

 

 

参考文献

 

天然真珠産業も含めた石油発見前後のバーレーンの通史としては、以下の文献をお勧めいたします。

 

バーレーンの顧問官としてイギリス政府から派遣された外交官の、31年間におよぶ駐在期間中の体験を記録した自叙伝になります。天然真珠産業との関わりだけでなく、ハマド首長やその後継者であるサルマーン首長との親交、石油産業勃興に伴う国内の興奮、警察機構や裁判所の整備、湾岸航空の設立と発展、第二次世界大戦前後の生活と戦後の若者たちの間での政治意識の高まり、伝統的な結婚事情など、著者の体験に基づく自叙伝がそのままバーレーンの現代史に等しくなっていますので、一読をお勧めいたします。

 

また、バーレーンのみならず、真珠全般の世界史に関しては、中公新書の以下の文献をお勧めいたします。

 

魏志倭人伝や遣唐使などの古代日本から始まり、南インドの王朝や仏教、古代ローマや古代ギリシャ、マルコ・ポーロやコロンブスやバスコ・ダ・ガマなどの世界的な探検家たち、イギリス支配下のセイロン島やペルシャ湾岸地域などがいかにして天然真珠と関わってきたか、御木本幸吉らが開発した養殖真珠は欧米やペルシャ湾岸地域にどれほどの脅威と打撃を与えたか、20世紀初頭の真珠バブルから21世紀の真珠のグローバル化の時代まで、真珠に関わる世界各国の歴史を知る上でお勧めです。

 

 

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