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さて、中近東というとどんな国をイメージされるでしょうか?

 

恐らく、イラクやシリアのように紛争やテロで破綻した国のイメージが強いと思います。現在の国家破綻があまりに酷いせいか、サダム・フセインのような独裁者たちが往々にして美化されがちですが、果たしてフセイン政権時代のイラクはそのように美化できる時代だったのでしょうか?

 

現実には、強圧的な独裁政権に依存せずとも、クウェートやバーレーンのように穏健な王政の下で成功している国々は中近東にきちんとあります。中近東の他の穏健な国々との比較も兼ねて、本記事では独裁者サダム・フセインが支配していた時代のイラクについて、考察してみたいと思います。今回は密告と拷問と個人崇拝について。

 

 

政敵や反対派や異民族だけでなく無数の一般市民も犠牲に

 

サダム・フセイン政権下のイラクで、スターリン型の恐怖政治によっていかに多くの人が殺害されてきたかは今までの記事で書かせて頂いた通りです。しかし今までの記事で述べてきた犠牲者は主にサダムの政敵や反対派、クルド人やシーア派といった異民族の人たちですが、サダムの時代に犠牲になった人々は決して政治に関わった人たちだけでなく、無数の一般市民もまた犠牲になっています。

 

 

複数の秘密警察が別個に活動する相互監視の密告社会

 

サダム・フセイン時代のイラクではいくつもの秘密警察が、相互連携することなく、別個に活動していました。いずれの秘密警察も市民社会に浸透しており、社会の一般人の中にも秘密警察と協力関係にある人間が無数におり、相互監視による密告社会が形成されていました。

 

 

職場や家庭内の世間話が「密告」になることも

 

タクシーの運転手やレストランの店員が秘密警察の密告者である可能性もあり、職場で、学校で、サッカーチームの中で、あるいは家庭内で、ちょっとした世間話のつもりが重大な情報を「密告」してしまう結果につながることが頻繁にあり、ほんの子供ですら学校で親をうっかり「密告」してしまうこともありました。

 

 

予告なしの連行・裁判なしの処刑・死体引き取りの通知

 

その「密告」の結果、秘密警察がある日突然当事者を連行し、何日も経ってからその家族の元に、「死体を引き取りに来るように」との連絡が来ることもありました。隣人でも、友人でも、家族ですらも信用できないという、秘密警察による直接的・物理的な恐怖を超えた、相互監視社会としてのスターリン型の恐怖政治の典型がここにあると言えます。

 

 

107種類の拷問と29万人の犠牲者

 

密告によって恣意的に逮捕された人たちが、凄惨な拷問を受けたことは今までの記事で述べた通りです。サダム自身が拷問大好き人間で、自らの手で拷問を行うことも頻繁にありましたが、サダム・フセインの時代のイラクでは、107種類の拷問が刑務所で行われ、犠牲者は29万人に上るとされています。

 

なお、イラク現政府は、「サッダーム・フセイン時代の恐怖展」を開き、拷問道具や犠牲者の遺品などをバクダッドに展示しています。詳しくはAFP通信の報道サイトをご参照ください。

 

 

肖像による個人崇拝の精神的・心理的恐怖は拷問以上

 

拷問や処刑のような直接的な暴力を伴うものとは異なりますが、サダムのスターリン型恐怖政治の象徴であり、より精神的・心理的な恐怖を国民に植え付けるものとして、肖像による個人崇拝が挙げられます。

 

サダムが大統領になって以来、商店街や企業や役所のような人通りの多い場所だけでなく、一般家庭の寝室の中でさえも、忠誠を示す証として、サダムの肖像画が掲げられるようになりました。もちろん個人崇拝の象徴となったのは肖像画だけでなく、彫刻や銅像、さらには連日国営のテレビやラジオで垂れ流される、サダムを称える歌や詩も同様です。

 

これらは直接的な暴力をもたらすものではありませんが、秘密警察や密告や物理的な拷問以上に、精神的・心理的な恐怖を国民に植え付けるものだったことは間違いありません。

 

バクダッドに飾られていた、サダムをエルサレムを解放する英雄にたとえた肖像画。(コン・コクリン(著)「サダム―その秘められた人生」より抜粋)


バクダッドの中心街と(上)、一般家庭の寝室(下)に飾られたサダムの肖像画。(酒井啓子(著)「イラクとアメリカ」より抜粋)

 

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参考文献

 

湾岸戦争やイラクの現代史についてさらに詳しく知りたい方には、以下の参考文献をお勧めいたします。

反米でも反イラクでもない客観的な筆致で書かれた、日本ではイラクの第一人者である酒井啓子氏の本書は、独立後の王政時代から流血クーデター、バース党独裁から個人独裁に至るイラクの政権の歴史、各時代に置かれたクルド人やシーア派の状況、湾岸戦争後に起きた反政府蜂起に対する弾圧、国連による査察や国内外の反政府活動の動向など、フセイン政権のイラクを俯瞰する上で、最低限これだけは読んでおくべき1冊です。

 

 

こちらは同じ酒井啓子氏による、そもそもサダム・フセイン政権とはどのような構造なのか、について掘り下げた著書になります。バクル大統領の時代からのバース党の独裁体制の変遷、アラブ・スンナ派偏重やティクリート派の位置付け、大統領親族間の権力争い、イラク国民議会の沿革と実際の民意の乖離など、フセイン政権の権力構造とそれを取り巻くファクターについて、詳しく知る上でお勧めです。

 

 

中東情勢に関して第一人者であるイギリスのジャーナリストの著書。基本的にサダム政権に批判的な立場なので、多少の偏りはありますが、かと言って決してサダムを悪魔扱いはせず、様々なルートで得られた各情報が信頼に値するかどうか、慎重に精査して事実を積み上げていることが見て取れます。また、王政時代やカーシム政権とバース党の対立など、サダムが政権を担う前のイラクの歴史をも詳しく知ることができます。

 

 

常にすぐ傍にいた主治医の回想録ということもあり、こちらもサダムを悪魔扱いする内容ではありません。むしろ読み取れるのは、傲慢さや高圧さと一緒に孤独感や気の弱さを併せ持つといった、サダムの複雑な人物像です。またイラクの不幸の原因をサダム1人に擦り付けず、彼の息子たちや側近たち、腐敗した政府の責任もきちんと記している点も、公平な書き方で評価できます。

 

 

こちらはサダムに無理やり愛人にされた女性の回想録。主人公はサダムの愛人扱いされることを嫌がり、自分の人生を破壊したサダムに嫌悪を抱いていますが、一方で初めのうちはサダムに恋心を持っていたように、サダムに対してどこかしら情を抱いており、決してサダムを悪魔のようには描いていません。サダムよりもむしろ、上述の主治医の回想録と同様、イラクの政府の腐敗や、サダムの長男ウダイの残虐さの記述の方が際立っています。

 

 

おすすめ映画

 

湾岸戦争に至る経緯をフセイン政権サイドの視点から知る上では、以下の映画がおすすめです。

サダム・フセインの長男ウダイに無理やりウダイの影武者にさせられた主人公ラティフの苦悩を描いた、実話に基づく内容です。直接的には、残虐極まりない異常人格者ウダイとごく普通の善良な主人公ラティフの対比、両極端の人間を1人2役で演じた主演のドミニク・クーパーの怪演ぶりが一番の見所ですが、湾岸戦争に至る経緯も知ることができます。かなり気が滅入る内容の映画ではありますが、全編緊迫感が漂う見応えある映画ではあるので、一見の価値はあります。

 

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サダム・フセインのような強圧的な独裁者による恐怖政治などなくとも、穏健な王政の下で平和的に成功している国は中近東にきちんとあります。その代表例であるバーレーンとクウェートの見所については、下記記事をご参照ください。

 

 

 

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