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さて、中近東というとどんな国をイメージされるでしょうか?

 

恐らく、イラクやシリアのように紛争やテロで破綻した国のイメージが強いと思います。現在の国家破綻があまりに酷いせいか、サダム・フセインのような独裁者たちが往々にして美化されがちですが、果たしてフセイン政権時代のイラクはそのように美化できる時代だったのでしょうか?

 

現実には、強圧的な独裁政権に依存せずとも、クウェートやバーレーンのように穏健な王政の下で成功している国々は中近東にきちんとあります。中近東の他の穏健な国々との比較も兼ねて、本記事では独裁者サダム・フセインが支配していた時代のイラクについて、考察してみたいと思います。今回はまだサダムが副大統領だった時代に既に築かれていた恐怖政治、主に国外での政敵の暗殺と国内での異民族の弾圧について。

 

 

国外の反対派及びライバルの暗殺

 

サダムの恐怖政治として特徴的なのは、国内の反対派の大量処刑だけでなく、国外に逃げ延びた反対派やライバルも容赦なく暗殺したことでしょう。以下、国外で暗殺されたイラク人として、代表的な2人について書かせて頂きます。とは言え、この2人は飽くまで氷山の一角で、他にも亡命先で暗殺された反対派やサダムのライバルが数多くいることは言うまでもありません。

 

 

バース党政権の初代首相アブドゥル・ラッザーク・ナイーフ

 

まず、バース党政権の初代首相を務めた、アブドゥル・ラッザーク・ナイーフについて。彼はサダムと同様、アーリフ政権転覆の立役者の1人ですが、1970年にバクル政権に対してもクーデターを企てたとして、アブドゥル・ハーリク・サマライ大佐とともに名を挙げられます。

 

国内で処刑されたサマライ大佐と違い、ナイーフ元首相はこの時点で既にバクルやサダムを脅かす存在として国外に追放になっていました。しかし亡命中にサマライ大佐と連座して名を挙げられ、欠席裁判で死刑判決を受けた後、1978年に亡命先のロンドンで暗殺されることになります。

 

 

副大臣や副首相を歴任したハルダン・アル・ティクリティ将軍

 

もう1人は、やはりアーリフ政権転覆の立役者の1人である、ハルダン・アル・ティクリティ将軍について。彼の場合はナイーフ元首相のようにクーデターに加わったわけではなく、参謀総長や国防副大臣、副首相等を歴任し、サダムにとってライバルだったというだけに過ぎません。しかしやがてティクリティはマドリッドにて外交中にあらゆる公職から解雇され、亡命先のクウェートの国立病院で銃撃を受けて暗殺されることになります。

 

 

クルド人の反乱鎮圧とムスタファ・バルザーニーの暗殺未遂

 

サダムの恐怖政治の特徴として挙げられるのは、シーア派やクルド人の迫害が本格化したことでしょう。その最たる例として挙げられるのがクルド人の反乱の鎮圧、そしてそれに続くムスタファ・バルザーニーの暗殺未遂と追放です。

 

 

初のクルド人の独立国家を建国したKDP党首

 

ムスタファ・バルザーニーは1946年、第2次世界大戦後にイラン北部に初めてクルド人の独立国家を建国した中心的人物ですが、同国がわずか1年足らずで崩壊してしまったため、故郷であるイラク北部に戻ってクルディスタン民主党(KDP)の党首となった人物です。

 

彼のカリスマ性や勇猛果敢な闘いぶりは、本来彼のような封建的リーダーシップを嫌っていたはずのKDPの近代的都市知識人たちをも魅了させ、彼をKDPの党首に迎え入れたほどでした。


現代クルド民族運動の祖である、ムスタファ・バルザーニーKDP党首。(酒井啓子(著)「イラクとアメリカ」より抜粋)

 

 

表向きは「三月宣言」の融和策を提示するが・・・

 

バルザーニーもクルド人も、サダムやバース党にとっては排除すべき政敵でしたが、クルド人の後ろ盾になっているソ連やイランや共産党との全面対決を避けるため、融和策である「三月宣言」を1970年に提示しました。

 

これはクルド人が長年要求してきた政治的、民族的、文化的権利の多くの自治権を約束するもので、クルド語を公用語とし、クルド人から副大統領を選ぶことまで認めたものでしたが、自治区の範囲がクルド側の期待よりも狭く、かつこの自治合意が4年後まで施行されないという、クルド側にとって大きな難点がありました。

 

 

交渉の裏ではバルザーニーの暗殺未遂事件を起こす

 

それでも、表向きはこの4年の間に双方の合意を得るよう交渉を進めることにはなっていたのですが、その交渉の途上、サダムの諜報機関が関与したバルザーニーの暗殺未遂事件が起こり、交渉での相互不信はピークに達します。結局、交渉はまとまらないまま、バース党政権は1974年にクルド自治法を制定して一方的に自治区を設定します。

 

 

アルジェ協定でイランの後ろ盾を失いクルド人の反乱は総崩れ

 

この結果、クルド人による反乱が勃発。クルド人側はイランの支援を期待していましたが、イラクが先手を打って国境問題でイランの主張を受け入れ、シャトル・アラブ河の国境線を河の中央に定めたアルジェ協定をイランと結んだことで、イランはクルド人への武器援助を停止。結局、後ろ盾を失ったクルド人の反乱は総崩れとなり、KDPは瓦解、バルザーニーは亡命先のワシントンで、失意の中で亡くなります。

 

 

イラクは権力狂いのサダム・フセインが牛耳る警察国家

 

暗殺未遂後にサダムへの不信を決定的なものにしたバルザーニーが放った言葉、「イラクは権力狂いのサダム・フセインが牛耳る警察国家だ」という言葉は、サダム時代のイラクの特徴をそのまま表現した最適の言葉と言えます。

 

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参考文献

 

湾岸戦争やイラクの現代史についてさらに詳しく知りたい方には、以下の参考文献をお勧めいたします。

反米でも反イラクでもない客観的な筆致で書かれた、日本ではイラクの第一人者である酒井啓子氏の本書は、独立後の王政時代から流血クーデター、バース党独裁から個人独裁に至るイラクの政権の歴史、各時代に置かれたクルド人やシーア派の状況、湾岸戦争後に起きた反政府蜂起に対する弾圧、国連による査察や国内外の反政府活動の動向など、フセイン政権のイラクを俯瞰する上で、最低限これだけは読んでおくべき1冊です。

 

 

こちらは同じ酒井啓子氏による、そもそもサダム・フセイン政権とはどのような構造なのか、について掘り下げた著書になります。バクル大統領の時代からのバース党の独裁体制の変遷、アラブ・スンナ派偏重やティクリート派の位置付け、大統領親族間の権力争い、イラク国民議会の沿革と実際の民意の乖離など、フセイン政権の権力構造とそれを取り巻くファクターについて、詳しく知る上でお勧めです。

 

 

中東情勢に関して第一人者であるイギリスのジャーナリストの著書。基本的にサダム政権に批判的な立場なので、多少の偏りはありますが、かと言って決してサダムを悪魔扱いはせず、様々なルートで得られた各情報が信頼に値するかどうか、慎重に精査して事実を積み上げていることが見て取れます。また、王政時代やカーシム政権とバース党の対立など、サダムが政権を担う前のイラクの歴史をも詳しく知ることができます。

 

 

常にすぐ傍にいた主治医の回想録ということもあり、こちらもサダムを悪魔扱いする内容ではありません。むしろ読み取れるのは、傲慢さや高圧さと一緒に孤独感や気の弱さを併せ持つといった、サダムの複雑な人物像です。またイラクの不幸の原因をサダム1人に擦り付けず、彼の息子たちや側近たち、腐敗した政府の責任もきちんと記している点も、公平な書き方で評価できます。

 

 

こちらはサダムに無理やり愛人にされた女性の回想録。主人公はサダムの愛人扱いされることを嫌がり、自分の人生を破壊したサダムに嫌悪を抱いていますが、一方で初めのうちはサダムに恋心を持っていたように、サダムに対してどこかしら情を抱いており、決してサダムを悪魔のようには描いていません。サダムよりもむしろ、上述の主治医の回想録と同様、イラクの政府の腐敗や、サダムの長男ウダイの残虐さの記述の方が際立っています。

 

 

おすすめ映画

 

湾岸戦争に至る経緯をフセイン政権サイドの視点から知る上では、以下の映画がおすすめです。

サダム・フセインの長男ウダイに無理やりウダイの影武者にさせられた主人公ラティフの苦悩を描いた、実話に基づく内容です。直接的には、残虐極まりない異常人格者ウダイとごく普通の善良な主人公ラティフの対比、両極端の人間を1人2役で演じた主演のドミニク・クーパーの怪演ぶりが一番の見所ですが、湾岸戦争に至る経緯も知ることができます。かなり気が滅入る内容の映画ではありますが、全編緊迫感が漂う見応えある映画ではあるので、一見の価値はあります。
また、フセイン政権による弾圧を被害者側であるクルド人サイドから描いた映画としては、以下の2本がお勧めです。

 

単に政権側による加害行為を描くだけでなく、強制的に加害行為に加担させられた人たちや、残された遺族のその後の描写など、フセイン政権のイラクに限らず、独裁政権下や紛争時に起こる異民族の弾圧全般について非常に考えさせられる内容なので、明るい内容ではありませんがお勧めです。

 

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