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さて、中近東というとどんな国をイメージされるでしょうか?

 

恐らく、イラクやシリアのように紛争やテロで破綻した国のイメージが強いと思います。現在の国家破綻があまりに酷いせいか、サダム・フセインのような独裁者たちが往々にして美化されがちですが、果たしてフセイン政権時代のイラクはそのように美化できる時代だったのでしょうか?

 

現実には、強圧的な独裁政権に依存せずとも、クウェートやバーレーンのように穏健な王政の下で成功している国々は中近東にきちんとあります。中近東の他の穏健な国々との比較も兼ねて、本記事ではサダム・フセインが独裁者として台頭する以前、まだサダムが反体制派だった時代について考察してみたいと思います。

 

 

バース党活動と共和制クーデター(1957年~1958年)

 

スエズ運河を巡る第2次中東戦争で、王政やイギリスに対するイラク国民がピークに達する最中、1958年7月14日、アブドッサラーム・アーリフ大佐をリーダーとする自由将校団が共和制クーデターを起こします。

 

当時22歳の国のファイサル二世を始めとする王族たちは王宮で尽く虐殺され、アブドルカリーム・カーシム准将を首班とする共和制政権が王政に取って代わることになります。

 

サダムが所属するバース党も自由将校団のクーデターに加わり、こうした血生臭い殺戮に貢献した後、共和制政権では16の閣僚ポストのうち12のポストをバース党が占めることになります。


自由将校団主導のクーデターが成功し、共和国樹立を宣言するカーシム准将。(酒井啓子(著)「イラクとアメリカ」より抜粋)

 

 

カーシム政権に対する闘争(1958年~1959年)

 

共和制革命では便宜上手を組んだカーシム准将とバース党ですが、共産党と手を組んでイラク一国主義を掲げるカーシム准将と、シリアやエジプトとも連携を唱えるアラブ民族主義を掲げるアーリフ大佐やバース党との間で路線対立が鮮明になります。

 

両者の対立は、1958年11月にアーリフ大佐が20名の将校らとともにシリアやエジプトとの統合を目指してカーシム政権に対してクーデターを引き起こすも失敗し、首謀者19名が銃殺され、アーリフ大佐自身も政権から排除された時に修復不可能なものとなりました。

 

 

カーシム准将暗殺未遂に加わり死刑判決を受けたサダム

 

機会があればカーシム准将を殺害すると、アーリフ大佐やバース党が何かにつけてあからさまに仄めかすようになった中で、1959年10月、カーシム准将の暗殺計画が実行に移され、暗殺の実行犯の1人としてサダムも暗殺計画に加わりました。しかし、暗殺は失敗。車両をハチの巣にされ、運転手を殺されながらもカーシムは生き残ります。

 

暗殺計画の首謀者17名が処刑され、実行犯の大多数は長期刑となる中、サダムは左足に銃弾を食らいながらも逮捕されずにシリアに逃亡し、欠席裁判の中でサダムも死刑判決を受けることになりました。


シリアに逃亡中に欠席裁判で死刑判決を受け、イラク国内で指名手配写真として全国に貼られていた青年時代のサダムの写真。(コン・コクリン(著)「サダム―その秘められた人生」より抜粋)

 


サダムたち暗殺計画の実行犯たちによってハチの巣にされたカーシム准将の車。(コン・コクリン(著)「サダム―その秘められた人生」より抜粋)

 

 

シリアとエジプトに亡命したサダム

 

ベドウィンに変装してシリアに亡命したサダムは、後にエジプトへと移り、カイロ大学法学部に進みました。カイロ滞在時のサダムは周囲に喧嘩を吹っ掛けるなど、かなりのトラブルメーカーだったとされますが、一方でこのカイロ滞在時に叔父ハイラッラーの娘であり、彼にとってはいとこであるサジダと婚約しています。

 

 

「邪魔者は殺してでも排除する」イラクの病理

 

反体制時代のサダム・フセインがやっているのは、暴力によって権力者の殺害を試みるという、テロリストのやり方そのものです。またカーシムやアーリフがやっているのもつまるところサダムと同じ、権力欲しさに邪魔者を殺害する試みでしかありません。結局、イラクが崩壊したのは、「邪魔者は殺してでも排除する」という病的なやり方が恐怖政治、さらにはアルカイダやイスラム国の無差別テロにまで受け継がれてしまったことにあると言えます。

 

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参考文献

 

湾岸戦争やイラクの現代史についてさらに詳しく知りたい方には、以下の参考文献をお勧めいたします。

反米でも反イラクでもない客観的な筆致で書かれた、日本ではイラクの第一人者である酒井啓子氏の本書は、独立後の王政時代から流血クーデター、バース党独裁から個人独裁に至るイラクの政権の歴史、各時代に置かれたクルド人やシーア派の状況、湾岸戦争後に起きた反政府蜂起に対する弾圧、国連による査察や国内外の反政府活動の動向など、フセイン政権のイラクを俯瞰する上で、最低限これだけは読んでおくべき1冊です。

 

 

こちらは同じ酒井啓子氏による、そもそもサダム・フセイン政権とはどのような構造なのか、について掘り下げた著書になります。バクル大統領の時代からのバース党の独裁体制の変遷、アラブ・スンナ派偏重やティクリート派の位置付け、大統領親族間の権力争い、イラク国民議会の沿革と実際の民意の乖離など、フセイン政権の権力構造とそれを取り巻くファクターについて、詳しく知る上でお勧めです。

 

 

中東情勢に関して第一人者であるイギリスのジャーナリストの著書。基本的にサダム政権に批判的な立場なので、多少の偏りはありますが、かと言って決してサダムを悪魔扱いはせず、様々なルートで得られた各情報が信頼に値するかどうか、慎重に精査して事実を積み上げていることが見て取れます。また、王政時代やカーシム政権とバース党の対立など、サダムが政権を担う前のイラクの歴史をも詳しく知ることができます。

 

 

常にすぐ傍にいた主治医の回想録ということもあり、こちらもサダムを悪魔扱いする内容ではありません。むしろ読み取れるのは、傲慢さや高圧さと一緒に孤独感や気の弱さを併せ持つといった、サダムの複雑な人物像です。またイラクの不幸の原因をサダム1人に擦り付けず、彼の息子たちや側近たち、腐敗した政府の責任もきちんと記している点も、公平な書き方で評価できます。

 

 

こちらはサダムに無理やり愛人にされた女性の回想録。主人公はサダムの愛人扱いされることを嫌がり、自分の人生を破壊したサダムに嫌悪を抱いていますが、一方で初めのうちはサダムに恋心を持っていたように、サダムに対してどこかしら情を抱いており、決してサダムを悪魔のようには描いていません。サダムよりもむしろ、上述の主治医の回想録と同様、イラクの政府の腐敗や、サダムの長男ウダイの残虐さの記述の方が際立っています。

 

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サダム・フセインのような強圧的な独裁者による恐怖政治などなくとも、穏健な王政の下で平和的に成功している国は中近東にきちんとあります。その代表例であるバーレーンとクウェートの見所については、下記記事をご参照ください。

 

 

 

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