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イラクの治安が一向に良くならないことの裏返しとして、サダム・フセイン政権時代の過去のイラクが美化・崇拝される傾向が強まっている気がします。しかし、無差別テロ組織に汚染されたイラクの現在に対して、サダム・フセイン政権を比較対象として持ち出すのであれば、そもそもサダム・フセイン政権とはどういう政権だったのかをまず理解しておく必要があります。

 

湾岸戦争やイラン・イラク戦争、シーアやクルド人の弾圧や虐殺のように、サダム・フセイン政権時代のイラクが国内外に及ぼした深刻な脅威は決して、「イラクの発展の大きさを考えれば、無差別テロ組織による犠牲と比べれば、大したことではない」などと切り捨てられるものではないからです。

 

今日は、イラクの歴史に興味のある方向けに、サダム・フセイン政権時代のイラクの歴史に関して参考になればと思い、サダム・フセイン政権が国際社会に及ぼした深刻な脅威の1つである、湾岸戦争の歴史考察に関する記事を書かせて頂きます。

 

 

太平洋戦争のルーズベルト陰謀論と似た被害妄想思考

 

国連決議に基づくアメリカ主導による多国籍軍の介入を招き、10万人以上のイラク人の犠牲者を出して終結した湾岸戦争。しかしそもそも湾岸戦争の原因となったクウェートの侵略は、サダム・フセイン政権のイラクによる一方的な暴挙であるにもかかわらず、加害者であるイラクを被害者扱いする類の主張は今なおこの日本でも根強いものがあります。

 

その中でもイラクに同情的で反米的な類の主張として、60年以上前の国境とともによく言われるのが、アメリカが戦争の口実のために、イラクのクウェート侵略を事前に察知しておきながら黙認した、あるいはアメリカは湾岸戦争でイラクを潰すための口実を探しており、イラクはアメリカの挑発に乗せられてハメられた、などというものです。太平洋戦争のルーズベルト陰謀論とよく似た、被害妄想思考の代表例と言えます。

 

 

クウェートを自国の19番目の州にしてしまったイラクの暴挙

 

実際のところ、当時のアメリカ政府はイラクがクウェートからの石油資源の奪取を口実に軍事行動を起こすとしてもせいぜいルマイラ油田や、石油紛争の舞台であるワルバ・ブビヤン両島の奪取あたりまでだろうと考えており、まさかイラクがクウェート全土を併合し、イラクの19番目の州にしてしまうとは誰も考えていませんでした。

 

 

イラクによる侵略で4200人を超えるクウェート人が犠牲に

 

1990年8月2日、10万人の兵力を持つイラク軍が300台の戦車と共にクウェートに侵攻します。1万6千人の兵力しか持たないクウェート軍はわずか20時間で破られ、クウェート全土が占領されることに。この戦闘で約300人のイラク兵と、4200人を超えるクウェート人が犠牲になりました。

 

 

クウェート首長も約40万人のクウェート人も国外脱出

 

イラクの共和国防衛隊はクウェート首長の住居であるダスマン宮殿も攻撃しますが、当時のジャービル・アルアフマド・アッサバーハ首長は既にクウェート侵攻を察知し、側近たちと共にサウジアラビアに向けて逃亡した後だったため、九死に一生を得ます。またクウェート国民の2人に1人にあたる約40万人のクウェート人と、何千人もの外国人労働者たちも、クウェートの国外への脱出を余儀なくされます。

 

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イラクのスターリン型恐怖統治と処刑されたクウェート首長の弟

 

もちろん国外に脱出できた人たちは幸運な方で、残った人たちがスターリン型の恐怖政治の下、拷問や処刑の恐怖に晒されたことは言うまでもありません。

 

イラク軍の占領下で真っ先に処刑されたのが、当時のクウェート首長の弟であり、クウェート・オリンピック委員会の創始者でもある、シェイク・ファハド・アルサバーハ氏でした。彼は帰国したばかりでイラクの侵略を事前に知らず、ダスマン宮殿でイラク共和国防衛隊に遭遇してしまい、銃撃戦の末、射殺されてしまいました。

 

 

イラクへの抵抗運動と処刑された1000人以上のクウェート人

 

占領下に置かれてイラクの19番目の州と化したクウェートでは、アラー・フセイン・アリー首相を中心とするイラクの傀儡州政府が敷かれました。

 

この間のクウェートでは、占領下でも残留したクウェート人により、武装蜂起の他にも、平和的な反イラクデモや、イラクに国有化された石油会社での労働者たちによる職場のボイコット、女性グループによるイラク人への製品不売運動など、様々な形での抵抗運動が続けられますが、尽く弾圧され、当事者たちは暴行や拷問を受け、食糧を与えられずに飢餓に晒され、挙句には処刑されました。

 

イラクに占領された約7か月間で、クウェート国内で処刑されたクウェート人は少なく見積もっても1000人以上であり、行方不明者やイラクの集団墓地で発見されたクウェート人も同数に上るとされています。

 

このクウェートに対するイラクの暴挙が、国連による非難決議と経済制裁の発動、さらには国連決議に基づくアメリカ主導の多国籍軍による武力介入を引き起こし、後にイラク軍が敗北してクウェートから完全撤退するまでに、10万人を超えるイラク人の犠牲にもつながることになりました。

 

 

国際政治の中で自滅・自壊の道を進んだイラクと戦前の日本の愚かさ

 

多国籍軍の介入で10万人以上のイラク人が犠牲になったことを含めて、湾岸戦争の大元の元凶は、クウェートを侵略したサダム・フセイン政権のイラクにあります。にもかかわらず、それすらアメリカに仕組まれた挑発であるかのように強弁し、サダム・フセインやイラクを被害者扱いする主張は今なお根強い。

 

しかしそもそも、挑発した者と、挑発に乗せられた者と、果たしてどちらが愚かでしょうか。国際政治とはある種の騙し合いと裏切りのゲームのようなもので、騙されて自滅・自壊の道を進む国家というのは、愚かな国家と言う他にはありません。

 

中国や東南アジアを侵略して無謀な太平洋戦争に突き進んだ戦前の日本にせよ、クウェートの侵略で湾岸戦争を招いたサダム・フセイン政権のイラクにせよ、百歩譲ってそれがアメリカの挑発によると全くの仮定をしても、他者を非難する前にまずは我が身を顧みて、アメリカの挑発に乗っかって自滅・自壊の道に邁進した愚かさを自覚した方が良さそうです。

 

 

参考文献

 

湾岸戦争やイラクの現代史についてさらに詳しく知りたい方には、以下の参考文献をお勧めいたします。

反米でも反イラクでもない客観的な筆致で書かれた、日本ではイラクの第一人者である酒井啓子氏の本書は、独立後の王政時代から流血クーデター、バース党独裁から個人独裁に至るイラクの政権の歴史、各時代に置かれたクルド人やシーア派の状況、湾岸戦争後に起きた反政府蜂起に対する弾圧、国連による査察や国内外の反政府活動の動向など、フセイン政権のイラクを俯瞰する上で、最低限これだけは読んでおくべき1冊です。

 

 

こちらは同じ酒井啓子氏による、そもそもサダム・フセイン政権とはどのような構造なのか、について掘り下げた著書になります。バクル大統領の時代からのバース党の独裁体制の変遷、アラブ・スンナ派偏重やティクリート派の位置付け、大統領親族間の権力争い、イラク国民議会の沿革と実際の民意の乖離など、フセイン政権の権力構造とそれを取り巻くファクターについて、詳しく知る上でお勧めです。

 

 

中東情勢に関して第一人者であるイギリスのジャーナリストの著書。基本的にサダム政権に批判的な立場なので、多少の偏りはありますが、かと言って決してサダムを悪魔扱いはせず、様々なルートで得られた各情報が信頼に値するかどうか、慎重に精査して事実を積み上げていることが見て取れます。また、王政時代やカーシム政権とバース党の対立など、サダムが政権を担う前のイラクの歴史をも詳しく知ることができます。

 

 

常にすぐ傍にいた主治医の回想録ということもあり、こちらもサダムを悪魔扱いする内容ではありません。むしろ読み取れるのは、傲慢さや高圧さと一緒に孤独感や気の弱さを併せ持つといった、サダムの複雑な人物像です。またイラクの不幸の原因をサダム1人に擦り付けず、彼の息子たちや側近たち、腐敗した政府の責任もきちんと記している点も、公平な書き方で評価できます。

 

 

こちらはサダムに無理やり愛人にされた女性の回想録。主人公はサダムの愛人扱いされることを嫌がり、自分の人生を破壊したサダムに嫌悪を抱いていますが、一方で初めのうちはサダムに恋心を持っていたように、サダムに対してどこかしら情を抱いており、決してサダムを悪魔のようには描いていません。サダムよりもむしろ、上述の主治医の回想録と同様、イラクの政府の腐敗や、サダムの長男ウダイの残虐さの記述の方が際立っています。

 

 

おすすめ映画

 

湾岸戦争に至る経緯をフセイン政権サイドの視点から知る上では、以下の映画がおすすめです。

サダム・フセインの長男ウダイに無理やりウダイの影武者にさせられた主人公ラティフの苦悩を描いた、実話に基づく内容です。直接的には、残虐極まりない異常人格者ウダイとごく普通の善良な主人公ラティフの対比、両極端の人間を1人2役で演じた主演のドミニク・クーパーの怪演ぶりが一番の見所ですが、湾岸戦争に至る経緯も知ることができます。かなり気が滅入る内容の映画ではありますが、全編緊迫感が漂う見応えある映画ではあるので、一見の価値はあります。

 

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