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イラクの治安が一向に良くならないことの裏返しとして、サダム・フセイン政権時代の過去のイラクが美化・崇拝される傾向が強まっている気がします。しかし、無差別テロ組織に汚染されたイラクの現在に対して、サダム・フセイン政権を比較対象として持ち出すのであれば、そもそもサダム・フセイン政権とはどういう政権だったのかをまず理解しておく必要があります。
湾岸戦争やイラン・イラク戦争、シーアやクルド人の弾圧や虐殺のように、サダム・フセイン政権時代のイラクが国内外に及ぼした深刻な脅威は決して、「イラクの発展の大きさを考えれば、無差別テロ組織による犠牲と比べれば、大したことではない」などと切り捨てられるものではないからです。
今日は、イラクの歴史に興味のある方向けに、サダム・フセイン政権時代のイラクの歴史に関して参考になればと思い、サダム・フセイン政権が国際社会に及ぼした深刻な脅威の1つである、湾岸戦争の歴史考察に関する記事を書かせて頂きます。
目次
イラク国民の不満を外にそらしたかったサダム・フセイン
イラクがクウェートに侵略したのは1990年8月2日、イラン・イラク戦争が終結してからわずか2年後です。8年間のイラン・イラク戦争で壊滅的な打撃を被った経済や、反対派の大量処刑、形式と掛け声だけの民主化宣言、殺人事件を引き起こしながら何ら罪を問われない大統領の息子ウダイを巡るいざこざ等、当時のイラクには国民に不満を抱かせる事情がいくつも重なっていました。
湾岸アラブ諸国への負債帳消しと追加融資の要求
こうした国民の不満を外にそらすため、イラクのサダム・フセイン大統領は湾岸アラブ諸国が融資した400億ドルの戦時負債の帳消しと、経済再建の名目で300億ドルに上る追加融資を、新たな戦争の脅しを振りかざしながら要求します。サダムの怒りは、イラクの困窮をよそに、OPECの設定上限を超えて原油を増産し、原油価格を下落させている湾岸アラブ諸国全体に向けられました。
ルマイラ油田でイラクの恨みを買ったクウェート
湾岸アラブ諸国の中でも、特にイラクの恨みを買ったのがクウェートでした。サダムや歴代のイラク大統領の主張では、クウェートは1920年代にオスマン・トルコ崩壊時に欧米によって勝手に国境を引かれたことで奪われた領土の一部で、そのクウェートが豊かなルマイラ油田を領有していること自体が不当だとみなされてきたからです。
当然のように負債帳消しと追加融資を要求するサダムの身勝手
しかしそもそもイランへの侵略はサダム・フセインが勝手に始めたことで、別に湾岸アラブ諸国がけしかけたわけでもないのに、さも当然のように追加融資や負債の帳消しを要求するサダムの態度はいかがなものかと思います。
なおかつ、サウジアラビアやクウェートを始めとする湾岸アラブ諸国の首脳たちも、本音ではイラクが本当に負債を返済できるとは考えていませんでした。それでも負債の帳消しや追加融資を公式に認めてしまえば、悪い見本を作ることになってしまうと考えたからです。
サウジアラビアとクウェートの両首長は要求を呑んだが・・・
しかしサダムの心理状態から新たな戦争が起こるのを恐れたサウジアラビア・クウェートの両首長は会談を繰り返し、両首長とも例外的にサダムの負債放棄の要求を呑むことを認めました。しかしルマイラ油田の奪取の考えに取りつかれていたサダムは、サウジアラビアに感謝することも、クウェート侵略の意志を撤回することもありませんでした。
60年以上前の国境線に基づく屁理屈からクウェート侵略へ
60年以上前に引かれた国境線の話を持ち出してクウェートの侵攻や併合を行うような理屈が通ってしまったら、なら日本も半世紀前の国境線の話を持ち出して朝鮮半島や北方領土を侵略するのが許されるのかという話になってしまいます。
にもかかわらず、アラブ世界どころか日本にも左右問わずイギリスが引いた国境線の話を持ち出してサダム・フセインやイラクがまるで被害者であるかのように同情的な態度を取る論者は多いですが、ともあれ、こうした屁理屈を元にイラクはクウェートに侵略することになりました。
サダム・フセイン政権時代は果たして素晴らしいものだったか?
湾岸戦争に限らず、サダム・フセイン政権時代のイラクが、国際社会に及ぼした脅威は決して無視できるような小さなものではありません。にもかかわらず、サダム・フセインを被害者であるかのように扱い、フセイン時代を美化・崇拝する論調は多いですが、そのような論調に傾倒している方には、サダム・フセイン政権時代にどのような出来事が起きたのかを踏まえ、本当にフセイン政権時代のイラクがそれほど素晴らしいものだったのか、再考して頂きたいと思います。
参考文献
湾岸戦争やイラクの現代史についてさらに詳しく知りたい方には、以下の参考文献をお勧めいたします。
反米でも反イラクでもない客観的な筆致で書かれた、日本ではイラクの第一人者である酒井啓子氏の本書は、独立後の王政時代から流血クーデター、バース党独裁から個人独裁に至るイラクの政権の歴史、各時代に置かれたクルド人やシーア派の状況、湾岸戦争後に起きた反政府蜂起に対する弾圧、国連による査察や国内外の反政府活動の動向など、フセイン政権のイラクを俯瞰する上で、最低限これだけは読んでおくべき1冊です。
こちらは同じ酒井啓子氏による、そもそもサダム・フセイン政権とはどのような構造なのか、について掘り下げた著書になります。バクル大統領の時代からのバース党の独裁体制の変遷、アラブ・スンナ派偏重やティクリート派の位置付け、大統領親族間の権力争い、イラク国民議会の沿革と実際の民意の乖離など、フセイン政権の権力構造とそれを取り巻くファクターについて、詳しく知る上でお勧めです。
中東情勢に関して第一人者であるイギリスのジャーナリストの著書。基本的にサダム政権に批判的な立場なので、多少の偏りはありますが、かと言って決してサダムを悪魔扱いはせず、様々なルートで得られた各情報が信頼に値するかどうか、慎重に精査して事実を積み上げていることが見て取れます。また、王政時代やカーシム政権とバース党の対立など、サダムが政権を担う前のイラクの歴史をも詳しく知ることができます。
常にすぐ傍にいた主治医の回想録ということもあり、こちらもサダムを悪魔扱いする内容ではありません。むしろ読み取れるのは、傲慢さや高圧さと一緒に孤独感や気の弱さを併せ持つといった、サダムの複雑な人物像です。またイラクの不幸の原因をサダム1人に擦り付けず、彼の息子たちや側近たち、腐敗した政府の責任もきちんと記している点も、公平な書き方で評価できます。
生き抜いた私 サダム・フセインに蹂躙され続けた30年間の告白
こちらはサダムに無理やり愛人にされた女性の回想録。主人公はサダムの愛人扱いされることを嫌がり、自分の人生を破壊したサダムに嫌悪を抱いていますが、一方で初めのうちはサダムに恋心を持っていたように、サダムに対してどこかしら情を抱いており、決してサダムを悪魔のようには描いていません。サダムよりもむしろ、上述の主治医の回想録と同様、イラクの政府の腐敗や、サダムの長男ウダイの残虐さの記述の方が際立っています。
おすすめ映画
湾岸戦争に至る経緯をフセイン政権サイドの視点から知る上では、以下の映画がおすすめです。
サダム・フセインの長男ウダイに無理やりウダイの影武者にさせられた主人公ラティフの苦悩を描いた、実話に基づく内容です。直接的には、残虐極まりない異常人格者ウダイとごく普通の善良な主人公ラティフの対比、両極端の人間を1人2役で演じた主演のドミニク・クーパーの怪演ぶりが一番の見所ですが、湾岸戦争に至る経緯も知ることができます。かなり気が滅入る内容の映画ではありますが、全編緊迫感が漂う見応えある映画ではあるので、一見の価値はあります。
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