こんばんは。前回に引き続きセネガルの世界遺産であるゴレ島について、今回はかつての奴隷貿易の拠点としての観点から記事を書かせて頂きます。

奴隷貿易の拠点にされたゴレ島

15世紀に発見され、最初にポルトガル人が到着し、その後オランダ、イギリス、フランスの間で植民地争奪戦が繰り広げられ、最終的にはフランス領にされたゴレ島。欧米の身勝手な植民地争奪戦の舞台にされたこと自体がもちろんゴレ島に起きた悲劇ですが、しかしこの島でやはり一番恥ずべき悲惨な過去は、奴隷貿易の拠点だったことでしょう。

博物館として開放された西アフリカ最古の奴隷の家

島内には、オランダ植民地時代に建設され、イギリスやフランスにも引き続き利用された、西アフリカ最古の奴隷の家が残されており、現在は博物館として開放されています。
P1020106

P1020119
建物の概観はこんな感じで、1階が奴隷たちの収容所、2階は当時の行政府の事務所になっています。

奴隷たちの収容所と飼育場

1階には、単に奴隷たちを収容するスペースだけでなく、奴隷労働に耐えられるよう、ある程度の体重まで奴隷たちを肥えさせるための飼育場もあります。

P1020107

P1020121
ここは奴隷たちの体重を測る場所で、体重が60㎏に満たない男性奴隷は、奴隷労働に耐えられるよう、家畜のように飼育され、肥えさせられました。

P1020108

P1020109
こちらが男性奴隷の収容部屋です。

P1020113
こちらは女性奴隷の収容部屋です。

P1020112
こちらが60㎏の体重に満たなかった男性奴隷の飼育部屋です。子供奴隷の収容部屋も兼ねています。

P1020114
こちらは懲罰用の独房です。

P1020110
懲罰用独房の内部です。狭いうえに明かりの光一つもない酷すぎる場所です。

故ネルソン・マンデラも訪れたゴレ島と奴隷の家

余談ですが、以前ネルソン・マンデラ大統領が生前にゴレ島とこの奴隷の家を訪れたことがあります。彼もアパルトヘイト時代に27年間投獄された人なので、かなり辛かったのでしょう。この奴隷の家の劣悪さ、特に懲罰用独房の酷さを見て涙を流したそうです。

当時の行政府の事務所があった奴隷の家の2階

上述の通り、植民地時代の奴隷の家の2階には、当時の行政府の事務所が置かれていました。こちらも現在は一般に開放され、資料などが展示されています。
P1020117
廊下から見た建物の2階の様子。

P1020118
2階にある、植民地時代の行政府の白人たちの事務所だったスペース。先ほどの写真と比べれば、1階の奴隷たちの収容部屋がどれだけ劣悪で酷い環境かが一目瞭然ですね。

奴隷たちが脱走を試みたかつての奴隷船の船着場

1階の奴隷たちの収容場所だったスペースのすぐ傍には、奴隷たちが脱走を試みた、かつての奴隷船の船着場があります。
P1020116
今は何も残されていませんが、ここはかつて奴隷船の船着場でした。積み込まれた奴隷たちは海に飛び込んで脱走を試みましたが、ほとんどが撃ち殺されるか、鮫の餌にされました。

P1020115
船着場のすぐ横にある、奴隷船に乗せられる直前に奴隷たちが待機させられていたスペース。

建物の敷地の外にある奴隷の解放像

ゴレ島での奴隷貿易の最盛期は18世紀頃で、奴隷の主な輸出先はアメリカ大陸。ここから送り出された奴隷は総数で約2000万人とされています。犠牲になった奴隷たちの慰霊碑として、同時に現存する奴隷制の世界からの廃絶を目指す記念碑として、建物の敷地の外には奴隷たちの解放像が立てられています。
P1020122
奴隷の家の敷地の外にに立てられた解放像です。

P1020123
敷地の外から見た奴隷の家の様子。

奴隷制の地域を1つずつ潰せば世界は平和になるのか

白人による植民地支配や奴隷貿易の時代は終わりましたが、世界には、特に中東やアフリカには未だに奴隷制が現存する地域が少なからずあります。ただし少なくともこのゴレ島では、奴隷制は過去のものになりました。こうやって1つ1つの地域から奴隷制が消滅していけば、世界は本当に平和になるのでしょうか。

島の住民たちの明るい魅力的なコミュニティもあるゴレ島

負の世界遺産としての視点からその地域を見ると、暗い島に思われがちですが、ゴレ島には多くの人たちが居住してコミュニティが形成されています。

これは他の負の世界遺産とは違う点です。例えば原爆やアウシュビッツやロベン島を訪れても、感じ取られるのは陰鬱さだけで、人が住みたいと思える場所ではありません。

しかしゴレ島は、人々のコミュニティが形成され、住んでみたいと思える魅力があります。次回は視点を変えて、人々の居住するコミュニティとしての、より明るく魅力的なゴレ島について記事を書かせて頂こうと思います。

関連記事

ゴレ島の他の見所に関しては、以下の記事をご参照ください。

世界の猫スポット―セネガル・ゴレ島
独立後のコミュニティに活用される植民地時代の文化遺産―セネガル・ゴレ島
人々が暮らす西アフリカの島内コミュニティ―セネガル・ゴレ島
欧米列強の植民地争奪戦の舞台―セネガル・ゴレ島

入場料

博物館や記念館に入るにはは600CFA必要。ゴレ島内に入るだけであれば無料。ただしダカールからのフェリー往復料金の支払いは必要。

開園時間

博物館と記念館は、毎日10時~12時、及び14時半~18時半
島内への入場はフェリーの運航時間内であれば可能

アクセス

ダカールのフェリー乗り場からフェリーで約20分程度

フェリーの料金及び運航時間

フェリーの料金は往復で6000CFA。便数は1時間に1便程度。平日と土曜日は17時頃まで、日曜日は23時頃まで運航していますが、8時台、9時台、13時台は便がないことが多い。フェリーの最新の時刻表は現地の新聞を見てご確認ください(ほぼ毎日掲載されています)。

島内ガイド

島内は自由に散策でき、特にガイドが必要というわけではありませんが、島内の人たちと交流し、かつ文化遺産に関して詳しい説明を聞くこともできるので、ガイドさんの同行による散策も良いかと思います。ガイド料は、ガイドさんにもよりますが、大体10000~20000CFA。ガイドさんと交渉してみてください。

周辺地図(ダカールのフェリー乗り場)

周辺地図(ゴレ島内)

(参考に)セネガルの各種情報

■航空券
東京(羽田or成田)や関空から、パリのシャルルドゴール空港(CDG)を経由して、ダカールのレオポール・セダール・サンゴール国際空港(DKR)に到着する乗継便が主力になります。往復路ともパリで1回だけの乗継便の場合もあれば、往復路のどちらかはもう1か所(ソウル、ロンドン、アムステルダムなど)を経由する2回の乗継便の場合もあり、乗継回数が多い便は時間がかかる一方で、航空運賃は2万円程度安くなります。航空運賃は大体20万円~30万円程度。往路はパリで1泊することが多いので、その分のホテル代(7000円~1万円程度)もご用意ください。航空会社は基本はエールフランスで、乗継が2回ある便ではエールフランスと他社(大韓航空、ブリティッシュエアウェイズ、KLMオランダ航空など)との複合会社であることが多く、複合会社便の方が航空運賃は2万~3万円程度安くなります。GW休暇や盆休みなどの連休には航空運賃が跳ね上がることもあります。荷物制限がある便はオーバーすると別料金になったりするので、航空券の条件には十分ご注意ください。
詳しくは、HISやエクスペディアで航空券の検索を。
海外旅行はエイチ・アイ・エス

【航空券+ホテル】海外旅行エクスペディア★パッケージツアー

■ビザ
以下の条件が全て満たされればビザは不要になります。
① 90日以内の滞在期間
② セネガル入国時のパスポートの有効期間が6か月以上
③ セネガル入国時に、出国する際の往復の航空券を所持していること
④ イエローカード(黄熱病予防接種証明書)を所持していること
91日以上滞在する場合、現地で滞在延長許可証を申請・取得する必要があります。その他、詳しくは在日セネガル大使館などでご確認ください。

■言語
公用語はフランス語ですが、ダカールやサンルイなどの大都市以外の、地方での通用度は低いです。一方で、共通語であるウォロフ語は全国的に通じます。英語は、観光客向けの中級以上のホテルやレストランなどでは通じますが、一般では全くというほど通じません。その他、各民族に応じて多様な現地語が話されています。

■通貨
50CFA(フラン・セーファー)が約10円に相当。

■時差
日本よりマイナス9時間。

■宿泊施設
バックパッカー専用の安宿であれば1泊1000円台~2000円台でも宿泊可能。ただし設備面の不備(エアコンが効かない、冷蔵庫がない等)や市内へのアクセスの不便さなどの難点があります。そこそこの設備と市内にアクセスのしやすい中級ホテルであれば1泊最低5000円はかかります。高級ホテルであれば1泊1万円以上はします。セネガルの治安はさほど悪くないので、中級ホテルでも問題ないかと思います。詳しくはエクスペディアで調べてみてください。
リアルタイム空室確認が分かりやすい!エクスペディアの海外ホテル

■その他の参考情報
その他、セネガルに関する参考情報は、セネガルで協力隊員をされた方のサイトである、セネガルがいどをご参照ください。