太平洋戦争の激戦地だったコレヒドール島のマリンタ・トンネル内展示から読み解く追い詰められる米軍

こんにちは。今日も私の記事を訪問してくださりありがとうございます。今回はマリンタ・トンネル内にある米軍関連のモニュメントと記録映像から、日本軍の爆撃と猛攻で追い詰められていた、1941年~42年のマッカーサーや米比軍について読み解く記事を書かせて頂きます。

 

 

米軍司令部とフィリピン臨時首府が置かれたマリンタ・トンネル

 

米軍の司令部、地下兵器庫、病院が整備されていたマリンタ・トンネル。日本軍のマニラへの侵攻と爆撃により、マニラのコモンウェルス政府の首都機能が失われて以降、コレヒドール島のマリンタ・トンネルはコモンウェルス政府の臨時首府としての役割を果たし、またマッカーサー一家の避難場所としての役割も果たしていました。

 

 

入口のすぐ横にはトンネル内部の地図があります。

 

このトンネルは幅約7m、高さ約3.6m、長さ約250mで、2台の車が通れるほどの広さがあり、両側にはさらに枝分かれしたトンネルが多数あります。司令部の奥にマッカーサーの個室や、将校や下士官たちの個室があり、それ以外に病院、休息用営舎、弾薬庫などがありました。

 

 

米軍司令部設置からマッカーサーの脱出までを再現したモニュメント

 

トンネル内は薄暗くてよく見えにくいのですが、両側にある枝分かれしたトンネル内にいくつかあるモニュメントや記録映像によって、当時の状況を垣間見ることができます。

 

家族や司令部の部下たち、ケソン大統領などと、連日のやり取りを行うマッカーサーの姿を再現したモニュメント。

 


日本軍による空爆と砲撃が激化し、連日傷病兵が担ぎ込まれるトンネル内の病院の光景を再現したモニュメント。

 

 

 

バターン半島とコレヒドール島の陥落が迫り、コレヒドール脱出が決定された時のマッカーサーとその家族、バターン・ボーイズたちの姿を再現したモニュメントです。

 

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バターン半島とコレヒドール島の陥落までの記録映像

 

トンネル内には記録映像も放映されており、米比軍と日本軍の双方の当時の状況を垣間見ることができます。今回の記事では、以下、米比軍の関係者の記録映像のみ写真を掲載します。

 

トンネル内のマッカーサーとやり取りしていた当時のルーズベルト米大統領。

 

米比軍が圧倒的に不利な長期戦を強いられる中で反日姿勢を続けることに苦悩し、「フィリピンの戦争終結と日米両国によるフィリピン中立化の承認」を読み上げるマニュエル・ケソン比大統領。

 

親日的主張を掲げ、反米・反マッカーサーの放送を繰り返す、ケソンの政敵であるエミリオ・アギナルド将軍(後のフィリピン共和国の初代大統領)。

 

 

当時のマニラ市の光景と関係者たちの様子を捉えた映像もあります。終戦後に日本軍のBC級戦犯たちに恩赦を与えることになる、後のキリノ大統領の姿もあります。

 

 

最高司令官であるマッカーサーがコレヒドール島から逃亡した後の、1942年4月当時のバターン半島の米比軍の兵士を撮った記録映像。

 

そしてこちらは、バターン半島陥落後に起きた、「死の行進」の記録映像です。

 

 

日本軍の空爆と猛攻で当初は追い詰められていた米比軍

 

戦局を優勢に展開していた1941年~1942年にかけて日本軍はフィリピンとコレヒドール島を空爆と猛攻で徹底的に破壊しました。「死の行進」の記録映像や、島内に多数残されている、日本軍の空爆で無残に破壊された当時の建物(廃墟)に見られるように、少なくともこの2年間は日本軍はフィリピンやコレヒドール島を破壊した加害者で、米比軍は日本軍の侵略と猛攻に追い詰められた被害者であることが見て取れます。

 

敗戦後の日本軍の兵士たちに対するフィリピンの人たちの憎悪は中国どころではない、想像を絶するものでしたが、今では日本人に憎悪を抱くフィリピン人は殆どいません。和解によって戦後の日本の再出発をさせてくれた東南アジア諸国の人々に感謝すると同時に、かつての日本がフィリピンやコレヒドール島にもたらした破壊の爪痕について、心に留めておくべき必要があるかと思います。

 

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コレヒドール島の各種情報

 

アクセス

 

メトロ・マニラのSMモール・オブ・アジアのすぐ傍にあるフェリー・ターミナルからサン・クルーズ社のフェリーに乗って40分~50分ほどかけてコレヒドール島まで移動します。2年ほど前までとはフェリー・ターミナルの場所が変わっているので(地球の歩き方の2015年版に掲載されているターミナルの場所は古い)、くれぐれもご注意ください。

 

 

サン・クルーズ社のツアー予約

 

島内見学はツアーのみであり、サン・クルーズ社のチケット売り場で希望のツアーを申し込みます。ツアー料金には往復のフェリー代や島での昼食代も含まれており、週末の日帰りトラムツアーであれば1人当たり2,749フィリピン・ペソ(平日なら2,550ペソ)、日帰り徒歩ツアーであれば1人当たり1,800ペソになります。なお、マリンタ・トンネル内の見学には別料金で200ペソ必要になりますので、ご注意ください。

 

島内は意外に広く、徒歩で回ると時間的に結構厳しいので、トラムツアーをお勧めいたします。他にも島内宿泊ツアー、ロッククライミングツアー、ハイキングツアーなど、いくつかのツアーがあるので、ご希望に沿ったツアーを申し込んで頂ければと思います。

 

詳しくはサン・クルーズ社のホームページをご覧ください。なお、サイクリング・ツアーもありますが、島内で自転車はレンタルされていないので、マニラ市からフェリーで忘れずに自転車を持参するようにしてください。

 

 

日本で不安のない事前予約をされるならベルトラのツアーで

 

現地に渡航してからサン・クルーズ社などのローカル会社のツアーに申し込む方法もありますが、予め日本で現地発ツアーに申し込んでおくと、ツアーによっては集合場所がSMモール・オブ・アジアよりも分かりやすい場所だったり、ホテルへの送迎がありますし、何より日本語で申し込んで日本語のツアーに参加できるので、とても安心感があります。下記リンクよりご検索・ご予約ください。
24時間オンライン予約可能★世界中のオプショナルツアー取扱VELTRA

ベルトラの現地オプショナルツアーのメリットとデメリットに関しましては、ブログ内の下記の別記事をご参照ください。

 

 

周辺地図(SM・モール・オブ・アジアとフェリー乗り場)

 

 

 

周辺地図(コレヒドール島内)

 

 

 

(参考に)フィリピンの各種情報

 

航空券

 

東京(羽田or成田)~マニラまで直行便で約4~5時間。航空運賃は5万円~6万円。航空会社はフィリピン航空が殆どです。JALやANAの直行便もありますが、便数が少なく、航空運賃が最低1万円~2万円はフィリピン航空より高くなります。関空、福岡などからも直行便があります。

 

時間は直行便よりかかるものの、香港経由のキャセイパシフィック航空や、ソウル経由の大韓航空など、航空会社によってはフィリピン航空の直行便より5千円~1万円ほど安くなるものもあります。GW休暇や盆休みなどの連休には航空運賃が跳ね上がることもあるのでご注意。

 

詳しくは、HISやスカイチケット、エクスペディアなどで航空券の検索を。
海外旅行はエイチ・アイ・エス

海外格安航空券を探すなら スカイチケット!

【航空券+ホテル】海外旅行エクスペディア★パッケージツアー

 

 

ビザ

 

30日間以内の滞在であればビザは不要です。31日以上滞在する場合、59日間有効のツーリストビザを取得でき、1回目は29日まで、2回目以降は1か月ごとの延長申請が可能です。詳しくは在日フィリピン大使館などでご確認を。

 

 

言語

 

公用語は英語とタガログ語。フィリピンはアジアで一番英語の通用度が高い国です。100以上の民族から成る多民族国家なため、タガログ語も含めて全国で80前後の言語が使われています。

 

 

通貨

 

1フィリピノ・ペソが2~3円程度に相当。

 

 

時差

 

日本よりマイナス1時間。

 

 

宿泊施設

 

ドミトリー等を使えば1泊1000円~2000円代でも宿泊可能。ゲストハウスなどの低価格のホテルが1泊3000円~4000円、設備のそこそこ整った中級以上のホテルだと1泊最低4000円以上はかかります。

 

フィリピンは物価が安いため、安価な宿泊施設がマニラの中心部でも多数あります。

 

ホテルの条件(Wi-Fi、冷蔵庫、エアコン、目的地へのアクセス、朝食の有無等)をよくご確認ください。特に、フィリピンは常夏の国なので、エアコンと冷蔵庫は必須と言えます。夏季や冬季の長期休暇は宿泊費が高騰しがちなので、その点も併せてご留意ください。

 

詳しくはエクスペディアやBooking.com、トリップアドバイザー等で検索を。
リアルタイム空室確認が分かりやすい!エクスペディアの海外ホテル
海外ホテル検索、Booking.com
TripAdvisor (トリップアドバイザー)