旅行や出張でフィリピンに行かれた際に、関連の話題が出た際の参考になればと思い、日本のBC級戦犯に関する記事を書かせて頂きます。

処刑された戦犯と生き残った戦犯の分かれ目

フィリピンで裁判にかけられた後の、処刑された84名の戦犯と、生き残って特赦・釈放された残りの戦犯たちに、生死の分かれ目となった明確な基準があるわけではありません。キリノ大統領が特赦・釈放の「英断」を行うよりも、たまたま時期が前だったか後だったかの違いにしかすぎません。米軍法廷で処刑された戦犯の中にも、モンテンルパの17名の戦犯たちの中にも、無実の訴えを最後まで続けたものの(それがどこまで本当かは分かりませんが)、聞き入れられずに処刑された者もいます。

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BC級戦犯を始めとする、フィリピンの太平洋戦争の犠牲者のための慰霊碑(モンテンルパ訪問時に撮影)。

膨大な犠牲者数と戦犯の少なさ

1944年のレイテ島での日本軍の敗走以降、フィリピン全土で日本軍による虐殺は数千~数万単位で起きていたことは間違いなく、その虐殺に関与したのが処刑されたこの84名だけとは到底言い難いでしょう。特赦・釈放された戦犯以外にも、戦犯として有罪判決を受けなかった一般兵の中にも、虐殺に関与した日本兵が少なからずいることは間違いないと思われます。

人が人を裁くことの限界

ロハス・キリノ両大統領を始め、少なくとも裁判権がフィリピンに移行して以降に裁判に関わった多くのフィリピン人たちが、公平さや公正さに基づく正義の実現のために尽力したことは上述の通りですが、それでも無実の者が処刑された可能性も否定はできない。結局、人が人を裁くということにはそもそも限界があるのかもしれません。

フィリピンが民主主義国家である所以

ただ、それでもフィリピンのJAGOやNWCOの人たち、同胞に罵倒されながらも日本人戦犯の弁護に当たった弁護士たち、そして戦犯に接したモンテンルパ刑務所の局長や所長や看守の人たちが、寛大な心で日本人戦犯たちと向き合っていたことは確かで、フィリピンが確かに民主主義国家であると言える所以がここにはあります。もし日本がフィリピンと逆の立場に陥った場合、これだけ寛大な心で加害者に向き合い、公正さや公平さを貫いて職務に従事することが果たしてできるかどうか、忸怩たる思いを抱くのは私だけでしょうか。

台湾や東南アジア諸国とも発展的な関係を

これから仕事や旅行でアジアの人たちに関わる際に、少なくともアジア諸国の赦しによって日本が再スタートし、今の日本と東南アジアの関係が成り立っていることだけは、忘れてはならないことだと思います。そしてアジアというととかく日本では中国と韓国ばかりに焦点が行きがちですが、台湾や東南アジアとの関係ももっと重視すべきですし、台湾や東南アジアから日本が学ぶべきことも、数多くあるのではないかと思います。

関連記事

BC級戦犯たちが収容されたモンテンルパ刑務所への旅行記については、私のブログ内の下記記事をご参照ください。
BC級戦犯たちが処刑された場所―フィリピン・モンテンルパ

また、BC級戦犯たちの戦後の経過・歴史考察に関する他の記事については、私のブログ内の以下の関連記事もご参照ください。
BC級戦犯となったフィリピン戦の日本軍兵士たち
公正・公平な裁判を目指したフィリピンのBC級戦犯裁判
フィリピン戦犯裁判でBC級戦犯たちが保障された権利
モンテンルパ刑務所でBC級戦犯たちが過ごした日々
キリノ大統領によるBC級戦犯の特赦

参考文献

日本軍による戦争犯罪、米軍やフィリピン政府による戦犯裁判、モンテンルパ刑務所への移送、特赦・釈放までの経緯について、より詳細な内容にご興味がある方には、以下の参考文献をまずお勧めいたします。



フィリピンの記述は殆どありませんが、BC級戦犯たちの戦争犯罪と戦後の裁判を全般的に記した記録書としては、以下をお勧めいたします。

「BC級裁判」を読む (日経ビジネス人文庫)
半藤 一利
日本経済新聞出版社
2015-07-02



平時であれば紛れもなく善良な人たちが戦争犯罪を担ってしまう、戦場の狂気、そして国際社会や国際法との間にあまりに大きな認識の乖離を生んだ、日本という閉鎖的な国柄と組織体制は、現在の日本にも通ずる問題のように思えます。