旅行や出張でフィリピンに行かれた際に、戦後のフィリピンで日本軍の兵士たちがBC級戦犯として裁かれた過去を心に留めておくため、モンテンルパ刑務所に関する記事を書かせて頂きます。

モンテンルパ刑務所に移送されたBC級戦犯たち

1948年12月以降、戦犯裁判の長期化に伴う死刑判決の増加に伴い、死刑囚の人数が米軍の敷地内の収容許容数を超えたため、死刑判決や有罪判決を受けた戦犯たちから順番にモンテンルパ刑務所に移送され、200名近い日本人戦犯がモンテンルパ刑務所に収監されることになりました。

P9180092
現在のモンテンルパ刑務所の様子(訪問時に撮影)。

死と隣り合わせの囚人たちと同情的な日本の世論

公正さと公平さが貫かれていたとは言え、フィリピン軍事法廷での死刑の判決率は高く、有罪者の約6割に当たる79名に死刑が宣告されていました。そういう意味で、戦時中に暴虐な加害者としてフィリピン人に対して振る舞ったとは言え、死刑囚は文字通り明日をも知れぬ運命への深い苦悩があり、死刑にされなかった戦犯たちもまた、収監され、死と隣り合わせの運命となった故の苦悩がありました。こうした日本人戦犯たちの運命に対し、当時の敗戦後の日本の世論は概ね同情的で、その世論の中で生まれたのが1952年の大ヒット曲「ああモンテンルパの世は更けて」になります。

寛大な心で囚人たちに接した刑務所の職員たち

ただ、収監された日本人戦犯たちが必ずしも、孤独と絶望に苛まされていたわけではありません。それはもちろん祖国の家族や友人から様々な支援を受け、励まされていたからというのもありますが、最大の要因は、刑務所で刑務局長や刑務所長や看守たちが、寛大な心で日本人戦犯たちに接したからだと言えます。

モンテンルパ刑務所の人格者アルフレッド・ブニエ刑務所長

アルフレッド・ブニエ刑務所長は、戦時中に日本軍関係者によって父親を殺害された過去を持つにもかかわらず、悲しみを忍び、憎しみにとらわれないよう自らを戒め、「法律とは、血の通った人間のために役立てるべきもの」という刑務官としての立場を貫き、「異国の刑務所で寂しく暮らしている」日本人戦犯たちに寛大な心で接しました。それにより、死刑の恐怖に怯え、フィリピン人に反感を持っていたような戦犯たちにさえも、ブニエ所長は「最も良き理解者であり同情者」との感情を抱かせ、彼が所長だったことが、「私たち日本人戦犯にとって最大の幸運であった」との感情を抱かせることになります。

アルフレッド・ブニエ刑務所長
収容された日本人戦犯たちから深い尊敬を集めたアルフレッド・ブニエ刑務所長。(永井均(著)「フィリピンBC級戦犯裁判」より抜粋)。

刑務所内でかなり恵まれていた待遇の日本人戦犯たち

日本人戦犯たちは過酷な重労働や強制労働、拷問、飢餓などを経験することは一切なく、戦犯たちとフィリピン人看守たちが共にバスケットボールを楽しむなど、戦犯収容所とは思えないのどかな光景も見られました。日本の家族や友人からの手紙への検閲はないに等しく、日本から届く慰問品にも制限は全く設けられませんでした。刑務所で割り当てられた作業の傍ら、空き時間には戦友と語り合ったり、本を読んだり、日記や詩や短歌や俳句を書いたり、囲碁や将棋に興じたり、英語やスペイン語を学んだり、絵を描く自由も与えられていました。独房では電気コンロや食材の持ち込みや料理も許されていました。病気になれば診察や治療を受け、症状が重ければ入院もできました。当時の日本人戦犯たちはモンテンルパ刑務所内でかなり恵まれた待遇を受けていたと言えるのではないでしょうか。

モンテンルパの日本人囚人たち
モンテンルパ刑務所でフィリピン人看守とともにバスケットボールに興じる日本人戦犯たち。。(永井均(著)「フィリピンBC級戦犯裁判」より抜粋)。

関連記事

BC級戦犯たちが収容されたモンテンルパ刑務所への旅行記については、私のブログ内の下記記事をご参照ください。
BC級戦犯たちが処刑された場所―フィリピン・モンテンルパ

また、BC級戦犯たちの戦後の経過・歴史考察に関する他の記事については、私のブログ内の以下の関連記事もご参照ください。
BC級戦犯となったフィリピン戦の日本軍兵士たち
公正・公平な裁判を目指したフィリピンのBC級戦犯裁判
フィリピン戦犯裁判でBC級戦犯たちが保障された権利
キリノ大統領によるBC級戦犯の特赦
フィリピンのBC級戦犯の生死を分けたもの

参考文献

日本軍による戦争犯罪、米軍やフィリピン政府による戦犯裁判、モンテンルパ刑務所への移送、特赦・釈放までの経緯について、より詳細な内容にご興味がある方には、以下の参考文献をまずお勧めいたします。



日本人戦犯たちが皆、刑務所の規則を守り、礼儀を重んじ、脱走や自殺を図ることもなく、また刑務所内での作業にも協力的で刑務官から信頼されていたり、刑務所内に日本庭園を作って刑務局長から称賛されていたという事実は、暴虐で残忍な日本軍のイメージからはあまりにもかけ離れています。平時に戻れば戦犯たちもやはり人の子であり、人の親でもあるということなのでしょう。と言うより、真面目な人ほど戦争の極限状況下ではよりおかしくなってしまうのかもしれません。

フィリピンの記述は殆どありませんが、BC級戦犯たちの戦争犯罪と戦後の裁判を全般的に記した記録書としては、以下をお勧めいたします。

「BC級裁判」を読む (日経ビジネス人文庫)
半藤 一利
日本経済新聞出版社
2015-07-02



日本を代表する中立的な歴史家4名の共著ということもあり、左右のイデオロギーを排して淡々と史実のみ積み上げた内容には読み応えがあります。平時であれば紛れもなく善良な人たちが戦争犯罪を担ったという、戦場の狂気、そして国際社会や国際法との間にあまりに大きな認識の乖離を生んだ、日本という閉鎖的な国柄と組織体制がBC級戦犯問題の最大要因であることが読み取れます。