旅行や出張でフィリピンに行かれた際に、過去に日本とフィリピンの間で生じた暗く悲しい過去を心に留めておくよう、フィリピンでBC級戦犯となった日本軍の兵士たちに関する、歴史考察の記事を書かせて頂きます。

日本軍がフィリピンで行った戦争犯罪

日本軍の兵士たちがBC級戦犯として裁かれることになったのは、日本軍がフィリピン全土で行った現地住民に対する虐殺の容疑が原因です。1943年から抗日ゲリラの活動が活発化し、1944年10月に米軍がレイテ島からの反攻を開始し、米軍と抗日ゲリラの連携が進み日本軍の敗色が濃くなる中で、ゲリラと住民の区別が次第につかなくなり、日本軍は現地住民に対する虐殺を行うようになります。そしてその住民虐殺は、1945年2月のマニラ市街戦でピークに達しました。

フィリピン全土で日本軍が行った大量虐殺

マニラやフィリピン全土で、日本軍が行った虐殺はどんなものだったのか。以下、いくつかの事例をピックアップします。

   ・1944年12月29日にカモテス諸島のポンソン島ピラール町
    ダプダプ村で起きた約300人の住民の虐殺
   ・1945年2月9日にセント・ポール大学とその周辺での
    400人以上の住民の虐殺
    この犠牲者数には中国人、インド人、アメリカ人も
    数人ずつ含まれます。
   ・45年2月10日にエルミタ区のジャーマン・クラブで起きたドイツ人と
    フィリピン人の500人以上の虐殺
   ・45年2月10日に起きたフィリピン赤十字社でのフィリピン人の
    医師・看護婦・乳幼児ら23人の虐殺
   ・45年2月7日~14日にデ・ラサール大学で起きた神父ら41人の虐殺
   ・45年2月5日~24日にマニラ大聖堂、サン・オーガスチン教会、
    サンタ・ロサ大学など、イントラムロス地区各地での
    フィリピン人を含む多国籍の民間人の虐殺
   ・45年2月バタンガス州リパで起きた2298人の集団殺害
   ・45年2月24日にラグナ州サンパブロで起きた中国人650人と
    フィリピン人80人の集団殺害
   ・45年3月1日にパラワン島で起きた90人の殺害事件

老若男女を問わず民間人が無差別に虐殺された事件が、日本軍がフィリピンで敗走を重ね始めた1944年末以降、マニラのみならずフィリピン全土に及んだのは間違いないと言えます。

民間人の虐殺以外の戦争犯罪も

民間人の無差別虐殺以外にも、バターン半島での死の行進をはじめ、捕虜収容所での虐待や処刑も数多く報告されており、イントラムロス内のサンチャゴ要塞内に置かれた憲兵隊本部内で米比軍捕虜や抗日ゲリラ活動容疑で逮捕されたフィリピン人たちが拷問・虐待され、処刑されたケースも、戦犯裁判の罪状として取り上げられることになります。

米軍によるフィリピン全土での戦争犯罪捜査

これらの戦争犯罪記録はいずれも、米太平洋陸軍(AFPAC)の指揮下で、戦争犯罪捜査分遣隊(WCID)が1945年6月から8月にかけて実施した、被害者への聴き取りや実況見分に基づいて作成した捜査報告書によるものです。WCIDの任務は、現場での捜査を遂行し、証拠を収集することでした。WCIDは米軍将校60名と米軍下士官10名、フィリピン軍将校10名とフィリピン人文民40名の計120名から構成され、ジープや軍用機、FS船を利用しての捜査活動はフィリピン全土に及びました。被害者の声が可能な限り集められ、日本軍側の軍事情報や命令書と併せて分析され、残虐行為の事実が証言と記録により裏付けられ、裁判で証拠として提示されたのは、まさにWCIDの捜査という特殊事情がなせた業だと言えます。

フィリピンから石もて終われBC級戦犯となった日本兵たち

敗戦後、米軍に投降した日本兵たちは、フィリピンの人たちからの想像を絶する復讐感情に直面することになります。どの街や村でも住民の復讐感情が爆発し、「ハポン(注:日本)、パタイ(注:死ね)、ドロボー、バカヤロー」と罵られ、石や瓶を投げつけられながら、米軍に護衛されつつ収容所に移送されることになります。こうしたフィリピン人の激しい復讐感情は、それまでフィリピン人と友好的な関係を保っていたはずの在留邦人にまで及びましたが、在留邦人は無事に帰国できただけましかもしれません。投降した日本兵たちに待っていた、帰国に向けた最大の関門は、BC級戦犯としての取り調べでした。

関連記事

BC級戦犯たちが収容されたモンテンルパ刑務所への旅行記については、私のブログ内の下記記事をご参照ください。
BC級戦犯たちが処刑された場所―フィリピン・モンテンルパ

また、BC級戦犯たちの戦後の経過・歴史考察に関する他の記事については、私のブログ内の以下の関連記事もご参照ください。
公正・公平な裁判を目指したフィリピンのBC級戦犯裁判
フィリピン戦犯裁判でBC級戦犯たちが保障された権利
モンテンルパ刑務所でBC級戦犯たちが過ごした日々
キリノ大統領によるBC級戦犯の特赦
フィリピンのBC級戦犯の生死を分けたもの

参考文献

マニラでの虐殺を始めとする、日本軍の戦争犯罪、BC級戦犯としての裁判やモンテンルパ刑務所での日々、キリノ大統領による恩赦と帰国までの流れについては、以下をお勧めいたします。


NHKの以下の取材記でも、マニラ市街戦下で起きた日本軍による虐殺について触れられています。


フィリピンについては殆ど記述はありませんが、BC級戦犯たちの戦争犯罪と戦後の裁判を全般的に記した記録書としては、以下をお勧めいたします。

「BC級裁判」を読む (日経ビジネス人文庫)
半藤 一利
日本経済新聞出版社
2015-07-02



日経ビジネス人文庫での、日本を代表する中立的な歴史家4名の共著ということもあり、左右のイデオロギーを排して淡々と史実のみ積み上げた内容には読み応えがあります。当然、日本軍や日本兵を絶対悪として一方的に断罪する内容ではありません。むしろ、家族や友人を大切にする、平時であれば紛れもなく善良な人たちが戦争犯罪を担ったという、戦場の狂気、そして国際社会や国際法との間にあまりに大きな認識の乖離を生んだ、日本という閉鎖的な国柄と組織体制がこの問題の最大要因であることが読み取れます。その意味で、BC級戦犯は過去の問題ではなく、現在も見受けられる日本という国の病理の問題と言えます。

参考映像資料

また、マニラ市街戦下で起きた虐殺を記録した映像資料としては、同じくNHKの下記DVD資料をお勧めいたします。



仲間の犠牲を防ぐために市街への無差別砲撃を遂行した米軍兵士たち、戦友を目の前で殺されていく一方で抗日ゲリラやマニラ市民の虐殺に関与した日本人兵士たち、米軍の砲撃で家族を殺されたマニラ市民、日本軍に目の前で家族を連行され、二度と家族に再開できなかったマニラ市民
、家族を奪われた復讐心から別の日本兵を殺害したマニラ市民、証言した人たちの多くが当時を思い出して泣いています。重苦しい内容ですが、過去の悲しい時代を忘れないために、鑑賞して頂きたいと思います。