旅行先で太平洋戦争の話題や関連スポット訪問の際の参考になればと思い、歴史考察の記事を書かせて頂きます。今回は餓死者と軍法会議による犠牲者について。

日本軍が敗走を重ねる中での種類の異なる犠牲の増大

長期戦の見通しのない状態で日本軍が開戦したこと自体がそもそもの間違いですが、緒戦で多大な戦果を上げていた時と違い、1942年6月にミッドウェー海戦とガダルカナル島で敗北して敗走を重ねるようになって以降、日本軍首脳部により犠牲を美化・推奨するような動きが強まり、それまでとは種類の異なる犠牲が増大することになりました。その代表例が大量の餓死者、そして形骸化した不当な軍法会議による犠牲者です。

大量の餓死者

太平洋戦争の一番の問題は、日本兵だけでも200万人を超える戦死者のうち、過半数が餓死している点でしょう。海上輸送が断たれ、食糧も物資も満足に送ることもできない中、戦線の拡大をやめなければ、餓死者が続出するのは当然と言えます。

戦争の転機となったガダルカナル島では2万名、ニューギニア戦線では十数万名の餓死者が出たとされています。戦死に至るまでの消息が分かっている犠牲者はまだましな方で、大半の犠牲者は山中でゲリラに追われる中で、栄養失調、マラリア、アメーバ赤痢などにより人知れず倒れ、今なお消息不明の犠牲者も数知れません。

実数や内訳は正確には分からないものの、数十万名~100万名の日本兵が飢餓によって犠牲になったことは間違いありません。フィリピンでは、軍事動員された約62万名のうち、約50万名が犠牲になっていますが、犠牲者の約8割、つまり約40万名が餓死による犠牲とされています。

形骸化した不当な軍法会議

亡くなった犠牲者の種類としては、餓死者よりも救いのないものでしょう。緒戦で連勝していた時こそまだまともに軍法会議が機能していたものの、敗戦色が濃くなるにつれて軍法会議はどんどん形骸化し、飢餓に陥って食糧を確保するために数日部隊を離れたような兵士を、予め結論が決まっていて形骸化した軍法会議の決定を元に、次々に処刑するようになります。

本来、「敵前逃亡」とは敵との交戦中の逃亡であって、交戦状態にない時に食糧確保のために部隊を離れるのは「戦時逃亡」として区別されねばならず、「敵前逃亡」とは違って本当なら死刑には値しないものです。にもかかわらず、本来なら死刑には値しない兵士が、「英語が達者で敵に捕まれば作戦発覚の恐れがある」とか、「食糧が不足しているので兵士の口減らしをする必要がある」といった理屈で事後に新たな罪状を作り上げ、処刑されました。

軍法会議で処刑された約1万名の兵士のうち、どれだけの割合がこうした不当な処刑をされたのか。処刑された兵士の遺族が今なお不当な差別を受け、名誉回復もされていないという点で、被害者は処刑された当人たちに留まりません。

犠牲を美化・推奨・増大させた日本軍首脳部は裁きを受けて当然

集団自決も餓死も、等しく死ねば英霊になるかのように考えていた東条英機や日本軍の首脳たち。しかし最初から死を美化・推奨して生還自体を許さず、本来なら死ぬはずがなかったのに死に追いやられたとすると、形骸化した軍法会議で不当に処刑された兵士たちでなくても、遺族の人たちには納得がいかないのではないでしょうか。東京裁判は事実上連合国側による事後法を用いた一方的な裁判だったので、開戦責任のみが問われ、本来死ななくても良いはずの多くの犠牲を強いたという点、つまり敗戦責任については問われませんでした。しかし裁判が日本国民や戦後政府の手で行われたと仮定しても、東条英機を始めとする軍首脳部の責任はやはり免れないでしょう。

参考文献

左右のイデオロギーを排して、太平洋戦争の経緯について淡々と記した良書としては以下をお勧めいたします。

太平洋戦争〈上〉 (中公新書)
児島襄
中央公論新社
2014-07-11


太平洋戦争〈下〉 (中公新書)
児島襄
中央公論新社
2014-07-11



戦争中に日本軍の兵士たちが見舞われた飢餓については、以下が参考になります。



戦時中に形骸化した軍法会議により、いかにして理不尽に兵士たちが処刑されたかについては、NHKスペシャルの以下の単行本が参考になります。

戦場の軍法会議
NHK取材班
NHK出版
2014-08-31



不当に処刑され、英霊として祀られることもなく、遺族の人たちが戦後70年以上経ってもまだ不当な差別を受け、名誉回復も受けられないというのは、この戦争で軍部が犯した罪の中で最大のものと言えるかもしれません。

左右のどちらにも偏らず、イデオロギーを排して太平洋戦争についてまとめた文献としては、以下の秦郁彦氏の著書と編著が参考になります。

現代史の争点 (文春文庫)
秦 郁彦
文藝春秋
2001-08




どちらの書も、太平洋戦争や日中戦争を始めとする、何かと揉めやすい昭和史については、こういう議論をしましょうというお手本のような優れた内容です。