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さて、中近東というとどんな国をイメージされるでしょうか?

 

恐らく、イラクやシリアのように紛争やテロで破綻した国のイメージが強いと思います。現在の国家破綻があまりに酷いせいか、サダム・フセインのような独裁者たちが往々にして美化されがちですが、果たしてフセイン政権時代のイラクはそのように美化できる時代だったのでしょうか?

 

現実には、強圧的な独裁政権に依存せずとも、クウェートやバーレーンのように穏健な王政の下で成功している国々は中近東にきちんとあります。中近東の他の穏健な国々との比較も兼ねて、本記事では独裁者サダム・フセインが表舞台に登場する前、王政時代のイラクについて考察してみたいと思います。

今なお根強いサダム・フセイン信仰

無差別テロで日々治安が悪化していることからの懐古主義なのか、単に反米意識故なのか、いずれにせよ、サダム・フセインを美化・崇拝する人はアラブ世界のみならず、この日本にも多い。しかし実際のところ、サダム・フセイン政権下のイラクの実情はどんなものだったのか。以下はイラクの歴史を、幼少期から独裁者に至るまでのサダム・フセインを中心として、記載させて頂きます。

サダムが成人に至るまで(1930年代後半~1956年頃)

サダムの生まれは1935年~39年のどこかと推定されますが、定かではありません。彼の故郷はイラク北部のティクリートに近いアヤという寒村。ティクリートは十字軍を打ち破ったイスラム軍の英雄サラディンの故郷として有名な地方都市です。幼くして父を亡くしたサダムは、叔父であるアドナーン・ハイラッラーに引き取られて育てられますが、サダムが後にバース党に入党し、国粋主義的な政治志向に目覚めるのは、ナチス信奉者であるこの叔父の影響が大きいとされています。

少年時代(16歳)のサダム・フセイン
16歳のサダムの写真。(コン・コクリン(著)「サダム―その秘められた人生」より抜粋)

オスマン帝国敗北で分割されたメソポタミア地域

サダムが成人するまで、イラクはイギリスの保護国の状態にありました。イラクを始めとするメソポタミア地域は元々オスマン帝国の領土の一部でしたが、第1次世界大戦でオーストリアやドイツの側についたオスマン帝国は、1918年に敗北し、敗北後のオスマン帝国領は欧米列強、特にイギリスとフランスの意向に基づいて分割されます。

イギリスの保護国として誕生したイラク王国

1921年8月23日、オスマン帝国傘下にあったバグダッド、モスル、バスラの3つの行政州がイギリスの委任統治下で統合され、イラク王国が誕生しました。初代国王には、大戦中にはアラビアのロレンスことトーマス・エドワード・ロレンス大佐とともにアラブ民族主義を掲げてオスマン帝国への反乱に加わり、戦後はフランス統治領となったシリアから追放された、ファイサル一世が就任しました。

イラクの初代国王ファイサル一世(1921年)
ロレンス大佐とともにオスマン帝国への反乱に加わり、イラク王国の初代国王となったファイサル一世。(アラ・バシール(著)「裸の独裁者サダム」より抜粋)

国王の下で実質的な権力を担ったヌーリ・アッサイード

イラクの王政は1921年から1958年まで事実上イギリスの属国として31年間続きますが、その間実質的に権力を担ったのは国王ではなく、大臣であるヌーリ・アッサイードでした。彼は首相、国防大臣、外務大臣といった具合に30年間大臣を歴任し、豊富な石油資源を活用して学校、病院、道路、上下水道、発電所等を次々に建設して近代的な福祉国家を発展させる一方、秘密警察を使って非人道的な支配も行いました。

イギリスの保護国下の統治の矛盾が後の共和制革命に

こうしたイギリスの保護国下でのアメとムチによる支配、国内に不均衡をもたらす経済開発が、アラブ民族主義者、イスラム主義者、共産主義者等、国民の様々な層に不満を抱かせ、後の共和制革命による王政打倒へとつながることになります。

訪英しエリザベス女王に同行するファイサル二世
1956年に訪英し、エリザベス英女王に同行する当時20歳のイラク国王・ファイサル二世。ファイサル一世の孫にあたる、第3代目のイラク国王です。(酒井啓子(著)「イラクとアメリカ」より抜粋)

成人してバース党のメンバーとなったサダム(1957年~1958年)

サダムがバース党に加わったのは1957年とされています。当時はイギリス・フランス・イスラエルがエジプトとの間でスエズ運河を巡って第2次中東戦争を引き起こした1956年の翌年であり、イラクでは王政やイギリスに対する国民の怒りがピークに達している時期でした。

バース党員として活動する一方で初めての殺人を犯したサダム

そして共和制革命が起きるわけですが、サダムが初めて殺人を犯したのもこの頃だとされています。当時のサダムはバース党員として活動する一方でストリートギャングも率いていたようですが、叔父のハイラッラーの命令でティクリート出身のある男を殺害し、叔父とともに殺人容疑で逮捕されるも、証拠不十分で釈放されました。

参考文献

イラクの現代史についてさらに詳しく知りたい方には、以下の参考文献をお勧めいたします。

イラクとアメリカ (岩波新書)
酒井 啓子
岩波書店
2002-08-20


フセイン・イラク政権の支配構造
酒井 啓子
岩波書店
2003-03-26

反米でも反イラクでもない客観的な筆致で書かれた、日本ではイラクの第一人者である酒井氏の著書は、独立後の王政時代からサダム時代に至るイラクの歴史、各時代に置かれたクルド人やシーア派の状況などを俯瞰する上で、最低限読んでおくべき文献です。

サダム―その秘められた人生
コン コクリン
幻冬舎
2003-03



中東情勢に関して第一人者であるイギリスのジャーナリストの著書。基本的にサダム政権には批判的な立場なので、多少の偏りはありますが、かと言って決してサダムを悪魔扱いしたりはせず、様々なルートで得られた各情報が信頼に値するものかどうか、慎重に精査して事実を積み上げて書いていることが見て取れます。

裸の独裁者サダム―主治医回想録
アラ バシール
日本放送出版協会
2004-11



常にすぐ傍にいた主治医の回想録ということもあり、こちらもサダムを悪魔扱いする内容ではありません。むしろ読み取れるのは、傲慢さや高圧さと一緒に孤独感や気の弱さを併せ持つといった、サダムの複雑な人物像です。またイラクの不幸の原因をサダム1人に擦り付けず、彼の息子たちや側近たち、腐敗した政府の責任もきちんと記している点も、公平な書き方で評価できます。



こちらはサダムに無理やり愛人にされた女性の回想録。主人公はサダムの愛人扱いされることを嫌がり、自分の人生を破壊したサダムに嫌悪を抱いていますが、一方で初めのうちはサダムに恋心を持っていたように、サダムに対してどこかしら情を抱いており、決してサダムを悪魔のようには描いていません。サダムよりもむしろ、上述の主治医の回想録と同様、イラクの政府の腐敗や、サダムの息子ウダイの残虐さの記述の方が際立っています。

また、サダムよりも以前の時代、王政時代のイラク建国の詳細にご興味のある方には、下記3冊を参考文献としてお勧めいたします。

イラクの歴史 (世界歴史叢書)
チャールズ トリップ
明石書店
2004-01-23



砂漠の女王―イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯
ジャネット ウォラック
ソニーマガジンズ
2006-03



いずれも当時の欧米列強やイギリスを一方的に悪とみなすことのない、イラク建国に関わった様々な立場の人々に一定の理解を示した、客観的な筆致で書かれた良い文献だと思います。