おはようございます。今日も私の記事を訪問してくださりありがとうございます。今回は日本軍のBC級戦犯たちが戦後に投獄・処刑された、フィリピンのモンテンルパに関する記事を書かせて頂きます。
目次
現在も稼働しているモンテンルパ刑務所
第2次大戦後に日本軍兵士たちを戦犯として収容していたモンテンルパ刑務所(正式名はニュー・ビリビッド刑務所)は、現在もフィリピン人の犯罪者を収容する刑務所として稼働しています。
モンテンルパ刑務所の建物の外観はこんな感じです。
BC級戦犯裁判の長期化に伴い死刑判決が増加し、死刑囚の人数が米軍の敷地内の収容許容数を超えたため、死刑と有罪が確定した戦犯たちが1948年12月以降に順次、モンテンルパ刑務所に移送され、200名近い日本人戦犯がモンテンルパ刑務所に収監されることになりました。
現在も刑務所として稼働しているので、こんな風にパトカーも出入りを繰り返しています。
刑務所が廃止にならず、現在も稼働しているのを見ると、太平洋戦争下のフィリピンで多くの人が犠牲になった70年以上前の日々が、そう遠くない記憶のように思えてきます。
太平洋戦争の全ての犠牲者のために立てられた慰霊碑
17名のBC級戦犯の処刑によって終焉した、フィリピンでの裁判とモンテンルパ戦犯収容所。モンテンルパで処刑された17名と、裁判権が移行する前に米軍によって遂行された裁判で処刑された、山下大将・本間中将を始めとする67名の、計84名の遺骨は日本に届けられましたが、BC級戦犯のみならず、フィリピンでの太平洋戦争で亡くなった全ての人たちのために、モンテンルパには慰霊碑が建てられています。
掲げられている写真は1枚の日本人の分だけですが、下に書かれているのは17名全員の名前だと思われます。
慰霊碑の横には、この慰霊碑を建てた平和メモリアル委員会の日比双方の関係者の氏名と、平和祈願のメッセージが掲げられています。
現在の日比両国の平和が、BC級戦犯として処刑された日本兵たちのみならず、太平洋戦争で亡くなった無数の犠牲者の上に成り立っていることが読み取れます。
刑務所や慰霊碑の周囲に広がる平和で穏やかな田舎町
慰霊碑や刑務所の周囲には、マニラのような大都市と比べるとかなり小規模ではありますが、田舎町があります。
田舎としてはそこそこ賑やかで、車両や人の往来もそこそこあります。
付近には、キリスト教国らしく、聖人のものと思しき像もあります。
田舎町なので観光向きではありませんが、平和そのものであるこの町の雰囲気は、フィリピンが無数の犠牲者を出した太平洋戦争を経験したことなど、全く感じさせないほどでした。
のどかで平和なジャングルとフィリピン最小の湖(ジャンボリー湖)
かなり小規模な田舎町なので、周囲はほとんどがこのようにジャングルになっていて。
ジャングル内には湖(ジャンボリー湖)もあります。
どうもこの湖はフィリピンで最小の湖らしいです。
キリスト教国のフィリピンらしく、湖にも聖人の像があります。この湖ののどかさもまた、太平洋戦争が終結して70年以上が経過したフィリピンの、平和な今を象徴しているかのようでした。
太平洋戦争の犠牲者や日本の戦後の再出発に想いを馳せる町
このモンテンルパ刑務所の周りに広がる町は、観光地としての見所はさほどなく、かなりの田舎町なので娯楽があるわけでもありませんが、太平洋戦争で亡くなった人たちや、日本の戦後の再出発を可能にした東南アジア諸国の赦し、そして現在のフィリピンや東南アジアとの関係について、想いを馳せられる町です。マニラからのアクセスは不便ですが、是非一度は訪れてみて頂きたいと思います。
フィリピンの未来を担う子供たち
モンテンルパからマニラに戻るジプニーの中で出会った、子供たちの写真です。
どうやら両親がジプニーの運転手と会計係として働いているので、常に両親のジプニーに一緒に乗っているみたいです。この子たちの可愛らしさ、人懐こさは、この子たちの国がかつて戦争で多くの理不尽な犠牲を出したことなど、全く感じさせないほどでした。
子供たちの幸せと日比両国の平和で発展的な関係を祈って
そこがどういう国や土地で、どんな歴史を辿ってきたにせよ、子供たちの可愛らしさだけは世界共通です。日比両国が二度とあのような戦争を経験することがないことを祈り、このたちが、いつまでも元気に幸せに生きていけることを祈り、また、仕事や旅行で出会うフィリピンの人たちと、これからもずっと発展的で良好な関係を築き続けられることを祈りつつ、今回の記事を締め括りたいと思います。
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モンテンルパの各種情報
注意事項
刑務所は内部の見学が禁じられており、入場できません。あまりに接近しすぎて撮影すると警備員に咎められます。遠方からの撮影であれば咎められないので、撮影は節度を持って行ってください。
アクセス
マニラからは、まずアラバン(Alabang)行きのジプニーで1時間半ほどかけて終点まで移動します。マニラからアラバンには国有鉄道で行くことも可能です。アラバンでカタルンガン(Katarungan)行きのジプニーに乗り換え15分~20分ほど移動し、上述のフィリピン最小の湖にかかる橋を渡ったところで降車します。電車もしくはジプニーを乗り継いで2時間ほどかかるので、アクセスはかなり不便で、大分辺鄙な場所ではあります。
周辺地図(マニラのバクララン・ジプニー乗場)
周辺地図(アラバンの国有鉄道駅)
周辺地図(ニュー・ビリビッド刑務所)
(参考に)フィリピンの各種情報
航空券
東京(羽田or成田)~マニラまで直行便で約4~5時間。航空運賃は5万円~6万円。航空会社はフィリピン航空が殆どです。JALやANAの直行便もありますが、便数が少なく、航空運賃が最低1万円~2万円はフィリピン航空より高くなります。関空、福岡などからも直行便があります。
時間は直行便よりかかるものの、香港経由のキャセイパシフィック航空や、ソウル経由の大韓航空など、航空会社によってはフィリピン航空の直行便より5千円~1万円ほど安くなるものもあります。GW休暇や盆休みなどの連休には航空運賃が跳ね上がることもあるのでご注意。
詳しくは、HISやスカイチケット、エクスペディアなどで航空券の検索を。
海外旅行はエイチ・アイ・エス
ビザ
30日間以内の滞在であればビザは不要です。31日以上滞在する場合、59日間有効のツーリストビザを取得でき、1回目は29日まで、2回目以降は1か月ごとの延長申請が可能です。詳しくは在日フィリピン大使館などでご確認を。
言語
公用語は英語とタガログ語。フィリピンはアジアで一番英語の通用度が高い国です。100以上の民族から成る多民族国家なため、タガログ語も含めて全国で80前後の言語が使われています。
通貨
1フィリピノ・ペソが2~3円程度に相当。
時差
日本よりマイナス1時間。
宿泊施設
ドミトリー等を使えば1泊1000円~2000円代でも宿泊可能。ゲストハウスなどの低価格のホテルが1泊3000円~4000円、設備のそこそこ整った中級以上のホテルだと1泊最低4000円以上はかかります。
フィリピンは物価が安いため、安価な宿泊施設がマニラの中心部でも多数あります。
ホテルの条件(Wi-Fi、冷蔵庫、エアコン、目的地へのアクセス、朝食の有無等)をよくご確認ください。特に、フィリピンは常夏の国なので、エアコンと冷蔵庫は必須と言えます。夏季や冬季の長期休暇は宿泊費が高騰しがちなので、その点も併せてご留意ください。
詳しくはエクスペディアやBooking.com、トリップアドバイザー等で検索を。
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