こんばんは。今回も前回に引き続き、ポーランドの世界遺産都市、クラクフについて。今回は王国当時から現在に至るまで、より庶民の生活、商業や宗教に根付いた区域である、中央広場と織物会館近辺について書かせて頂こうと思います。

中央広場は、クラクフ旧市街の中心に位置しており、総面積が約4万㎡。第二次世界大戦による破壊を奇跡的に免れ、中世からそのままの形で残っている市場広場としては、ヨーロッパで最大のものになります。

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こちらは中央広場のさらに中央に位置する建物です。元々14世紀のカジミェシュ三世の時代に、織物会館(織物取引所)として建てられましたが、現在では1階に土産物屋が並び、2階は国立美術館の分館となっています。
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織物会館の東側には、ポーランドの国民的詩人である、アダム・ミツキェヴィチの銅像があります。18世紀~19世紀にかけて、ポーランド・リトアニア共和国として一体性の強い地域で生まれ育ち、大国による分割占領支配後には独立を目指す運動を組織して帝政ロシアによって逮捕・追放刑に処された彼の評価は高く、彼の遺体は歴代ポーランド国王と同様、ヴァヴェル大聖堂に埋葬されています。

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こんな具合に織物会館周辺、つまり中央広場内には土産物屋が多く、観光客も大勢訪れています。

また先述の通り、織物会館の1階の通路にも土産物屋が並んでいます。
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どことなくイランやエジプトのバザールに少し雰囲気が似ている気もします。

イスラム圏と似ていると言ったら、ポーランドのカトリックの人たちは怒るかもしれませんが、元々キリスト教もイスラム教も根っこの部分は同じ、つまり旧約聖書から来ているので、文化的に多少は似ているものが見受けられても別におかしくはないのですが。

まあそれはともかく、旧市街、とりわけこの中心部の街並みは紛れもなく、中世のヨーロッパのキリスト教世界の街並みそのものです。
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広場に面して多数のレストランやカフェが立ち並び、観光客や地元の人たちの憩いの場となっています。

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こんな感じで馬車が並んでいるのを見ると、本当に中世のポーランド王国にタイムスリップしたような気分になります。

ポーランド王国の国教がローマ・カトリックだったため、やはり教会建築が広場周辺でも目立ちます。
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こちらは広場の南にある小さな教会、聖ヴォイチェフ教会です。カジミェシュ三世が登場するよりもさらに300年以上前、つまり10世紀に建てられた、クラクフ最古の教会です。建物が小さいせいもあるかもしれませんが、13世紀のモンゴル襲撃でも破壊されずに残ったのは、本当に奇跡ですね。

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こちらは織物会館(右側)の隣にある、旧市庁舎(左側の塔)です。正確には、クラクフ旧市庁舎が19世紀に取り壊された際に、この塔だけが残されたそうです。地下部分はかつて牢獄として使われていたことがあるとか。

中央広場自体も、宗教裁判や公開処刑が行われていたことがあるようで、当時の基準でいくらカジミェシュ三世の時代やポーランド王国が開明的な部分があるにせよ、ローマ・カトリックが絶対的な権威を持っていた中世なので、どうしてもそうした闇の部分があります。残念ながら。

この広場周辺でとりわけ目立つのが、広場の東に位置する聖マリア教会です。
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聖マリア教会は1222年に建てられました。クラクフはかつて13世紀にモンゴルの襲撃を受けており、その際、ラッパ吹きが危険を周知させるためのラッパを吹いている最中に矢で射殺されたという言い伝えがあります。この教会はモンゴル襲撃前から既にここにあったわけですが、この言い伝えに倣い、聖マリア教会の塔の上からは1時間おきにラッパが吹き鳴らされ、演奏中に突如中断します。この伝統は中世から代々続けられています。また、教会内には12年の歳月をかけて造られた木造の聖壇があり、国宝に指定されています。

13世紀のモンゴル襲撃や、帝政ロシアやハプスブルクによる分割占領支配、第二次世界大戦といったいくつもの戦争を経験しながら、この旧市街が中世そのままの形で残ったのは本当に奇跡だと思います。ワルシャワのように、戦争で破壊された後に市民たちの手で精緻に再現された街並みもまたすごいですが、やはり中世からそのまま残っている世界遺産都市の中心部であり、今なお多数の人々の生活が営まれ続けている街並みは格別で、ヴァヴェル城の城下町としても恥じない、鮮やかで美しい街並みだと言えます。